ファミリーコンピュータ
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開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた[29]

開発コードネームは最初は「テレビゲーム」[30]、その後「ヤングコンピュータ」[30]など紆余曲折した。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村の妻が付けたという話もあるが[31]、上村本人はそれを否定し実際は自ら命名し、妻は略称の「ファミコン」を名付けたと証言した[30]

当時の任天堂の販売戦略・設計思想としては次のような5つの要目があった[32]
低価格設定
手軽に買える価格設定を行い、親が子供に買い与えやすいようにする。
ソフトの重視
多彩なソフトをどんどん発売し、常に新しい遊びを提供する。
デザイナーの重視
コンピュータの専門家ではないデザイナーでも開発支援ツールを使うことで、ゲームのデザインができる。
観ているだけでも楽しい
ゲームで遊んでいる本人以外でも、観ているだけで楽しめる映像表現を提供する。
簡易な操作性
十字型のキーと2つのボタンだけで、画面を見ながら容易にキャラクターを操作できる。

このように、デザイナーの自由な発想を満足させ、かつプレイヤー・オーディエンスともに満足させるものを提供するため、結果的にゲームに不要な部分は排除され、ゲーム専用機に絞ったことにより、汎用機と比較して高性能化を実現した。
低価格設定

当時の任天堂社長である山内溥は、当初「本体価格を1万円以下に抑えよ」との要求を出しており[注釈 8]、それを踏まえて上村らのハード開発部隊は徹底的に製造費を下げる方針を採った。一例として、本体附属のコントローラにアタリのジョイスティック型ではなく十字キー型を選択した[33][34][注釈 9]。さらに当初コントローラはコネクタ接続を予定していたが、コスト低減のためにコネクタを省略して本体直付けとした[36]
高性能

1980年代前半はまだ家庭用ゲーム機の普及率が低く、汎用のICチップ[注釈 10]を流用することが一般的であった。結果として画面解像度は低く(100×100程度)、色数も数色程度で、画面スクロールの実現も難しいゲーム機が多かった。パソコンにしてもまだ黎明期にあり、高価な割にCPUやメモリの制約が厳しく、グラフィックやサウンドに至っては最低限の仕様とされていた。

それに対して、任天堂は家庭用ゲーム機でアーケードで稼働しているゲームを遜色なく遊べるようにするために、当時人気のあった『ドンキーコング』のアーケード基板を参考に、ゲーム向けに仕様を最適化した各種カスタムICの開発を行った。山内は他社が真似をするのに1年間[37]もしくは3年間[33]はかかる性能を要求した。

カスタムICはリコー製のものを使用した。リコーが選ばれたのは以下の背景があった。
三菱電機で任天堂と「カラーテレビゲーム15」の後のゲーム機用LSIの開発に携わっていた八木広満がリコーに移籍し、1980年(昭和55年)に半導体事業に参入しており、任天堂と縁があった[38]

リコーは1981年(昭和56年)4月に75億円をかけて、大阪府池田市にカスタムIC専用工場を完成させたが、実績不足から顧客を獲得できず苦境にあった。

リコーは当時機械式複写機を電子化することを予測し、最新の半導体設備と技術陣を準備していたが、その電子化には多くの時間を要するところから、新しい半導体設計をこなせるだけの余裕が残っていた[38]

当時はアメリカを中心にパソコン市場が急速に拡大していた時代で、半導体を生産する日本のメーカは「DRAM戦争」と呼ばれていた主記憶素子の高速化・大容量化の技術競争に巻き込まれていたが、リコーは半導体専業メーカではなかったことからその影響を受けていなかった[38]

任天堂は当初カスタムチップのベースCPUにアーケードゲームで使い慣れていたZ80を希望したが、リコーは自社がロックウェルからライセンス取得の見通しが立っていた6502を使うことを提案した[39]。リコーは「Z80のライセンス交渉には相当の時間を要するため、開発期間が長期化する恐れがある」[39]「6502を使うとチップ面積がZ80の1/4になりコスト面で有利なほか、日本国内で6502はあまり普及しておらず他社に真似されにくい」ことから6502を勧め、任天堂でも検証の結果「面積をとるZ80よりも、音源電子回路と6502を一つのLSIに組み込んでカスタム化したLSIを採用することで低コスト化の課題が解決できる」[40]「新設計の画像表示用プロセッサとの相性が良い」ため6502を採用することになった[41]

カスタムチップの仕様を決めるに当たり、宮本茂などのゲームデザイナーの要望を取り入れた。当初上村らが設計したチップでは最終的な本体価格が高額になってしまうことが判明したため、製造費低減策として使用できる色数の削減や音源の性能を落とす必要が出てきたが、最終的な色の仕様などは宮本が決定した[42]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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