ファウスト・コッピ
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1950年はパリ?ルーベフレッシュ・ワロンヌを制し、1951年もジロ・デ・イタリアでステージ2勝を果たしている。

1952年には2度目のダブルツールを達成。ツール・ド・フランスでは2位以下に28分もの大差をつけて圧勝した(この記録は1947年以降の同大会における最大タイム差記録であり、2016年現在も破られていない)。

続く1953年にはジロ・デ・イタリア5回目の総合優勝と世界選手権制覇を果たし、最強の名をほしいままにした。

1954年にもジロ・デ・イタリアで山岳賞を獲得。ジロ・ディ・ロンバルディアでも5回目の優勝を飾った。

しかし、以後は徐々に調子を落としていき、1955年のジロ・デ・イタリア1勝を最後に勝利から遠ざかる。

そして1959年末、コッピはサイクリングとハンティングを楽しむためにアフリカオートボルタに滞在中マラリアに感染し、帰国後に発症。診療ミスによりトルトーナの病院で死去した。
人物

さまざまなロードレースのヒーローたちの中でも、コッピの存在は飛び抜けており、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現在までに「カンピオニッシモ」の称号が与えられているのは、彼のほかは
エディ・メルクスのみである。[独自研究?]

イタリアの自転車選手としては最も尊敬される人物の一人であり、その年のジロ・デ・イタリアで最高峰となる峠は「チマ・コッピ」と呼ばれ、彼の功績を称えることになっている。またイゾアール峠やステルビオ峠など、各地に彼の活躍を記念した碑が建てられている。

1951年、コッピの弟でチームメイトだったセルセ・コッピがジロ・ディ・ピエモンテでのスプリント中に落車。ホテルに戻った後に脳出血で死亡するという悲劇に見舞われた。また1953年には浮気により妻と別居するというスキャンダルが発覚した。以後コッピが精彩を欠いたのは、これらのプライベートでの不幸が大きな原因と考えられている。

エピソード

コッピの活躍の理由としては、才能のほかにも
ジロ・デ・イタリアで3度の総合優勝(1936?1937年、1946年)を遂げ、ツール・ド・フランスでも2度総合優勝(1938年、1948年)したジーノ・バルタリという強力なライバルがいたことが大きい。あらゆる面で対照的[1] なコッピとバルタリはイタリアのロードレース界における人気を二分していた。

コッピはレース時以外の体調管理に腐心しており、専属のマッサージ師の指導により、良質のたんぱく質やビタミンの摂取、練習後の昼寝などを欠かさなかった。

コッピは最初バルタリのアシストを務めていたほか、彼の最後のナショナルチーム監督は、すでに引退していたバルタリだったなど、両者は不思議な因縁で結ばれていた。2001年から彼らの名前を冠した「コッピ・バルタリ」というレースが毎年開催されている。

1952年はラルプ・デュエズツール・ド・フランスに初めて組み込まれたが、その時にみごと優勝している。歴代優勝者の筆頭として最初のカーブにあるプレートにその名が刻まれている。

1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍したフランコ・キオッチョリはコッピに瓜二つの風貌だったため「コッピーノ」の愛称で呼ばれていた。

主な成績
1940年
ジロ・デ・イタリア

総合優勝

ステージ1勝

1946年
ミラノ?サンレモジロ・ディ・ロンバルディアグランプリ・デ・ナシオンジロ・デ・イタリア

ステージ3勝

1947年
ジロ・デ・イタリア

総合優勝

ステージ3勝
ジロ・ディ・ロンバルディアグランプリ・デ・ナシオン
1948年
ミラノ?サンレモジロ・ディ・ロンバルディアジロ・デ・イタリア

山岳部門優勝

ステージ2勝

1949年
ツール・ド・フランス

総合優勝

)山岳部門優勝

ステージ3勝
ジロ・デ・イタリア

総合優勝

山岳部門優勝

ステージ3勝
ミラノ?サンレモジロ・ディ・ロンバルディア
1950年
パリ?ルーベフレッシュ・ワロンヌ
1951年
ツール・ド・フランス

総合10位

ステージ1勝
ジロ・デ・イタリア

ステージ2勝

1952年
ツール・ド・フランス

総合優勝

)山岳部門優勝

ステージ5勝
ジロ・デ・イタリア

総合優勝

ステージ3勝

1953年
世界選手権優勝ジロ・デ・イタリア

総合優勝

ステージ3勝

1954年
ジロ・デ・イタリア

山岳部門優勝

ステージ1勝
ジロ・ディ・ロンバルディア
1955年
ジロ・デ・イタリア

ステージ1勝

グランツールの総合成績

グランツール19401941194219431944194519461947194819491950195119521953195419551956195719581959
ジロ・デ・イタリア1未開催未開催未開催未開催未開催21DNF1DNF41142DNF?32?
ツール・ド・フランス未開催未開催未開催未開催未開催未開催未開催--1-101-------


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