ピーター・フォンダ
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同作は『俺たちに明日はない』と並んで、ニュー・シネマの代表作品と見られた。彼はこの成功によって一躍アメリカン・ニューシネマの旗手となった。なお、デニス・ホッパーは後に共和党支持者になっている。

71年には『さすらいのカウボーイ』73年には『アイダホ・トランスファー』に出演した。そして74年には人気作品『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』を発表した。日本では70年代後半以降は注目されなくなってしまったが、アメリカでは地道に俳優活動を継続した。90年代は、娘のブリジットが女優として活躍した。

1990年代末頃にはフォンダはカムバックした俳優と見られるようになった。1997年木洩れ日の中で』での老養蜂家を演じてゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) を受賞。アカデミー主演男優賞にもノミネートされ、受賞こそならなかったが久々に賞賛を浴びた。ちなみにフォンダを破りオスカーを手にしたのが、奇しくもかつての旧友であり『イージー・ライダー』でともにかけ上がった仲のジャック・ニコルソン(『恋愛小説家』)であった。ニコルソンはスピーチで「昔のバイク仲間のフォンダ」と声をかけ、フォンダもこれに応えたというエピソードが知られる。

晩年もテレビ、映画を中心に出演した。俳優としてだけでなくプロデューサー、脚本家、監督として多方面に活躍をし続ける一方で、「華美なハリウッド嫌い」をあくまで貫くように、モンタナ州の田舎でひっそりと暮らしていた。

父ヘンリーとの共演作に自ら監督した1979年『グランドキャニオンの黄金』、姉ジェーンとは1967年のオムニバスのヨーロッパ映画『世にも怪奇な物語』、娘ブリジットとは1993年『恋愛の法則』でそれぞれ共演している他、日本映画にも主演している。

2019年8月16日、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で肺がんによる呼吸不全のため死去した[1]
人物と思想映画『イージー・ライダー』を再現したバイクを運転(2009年)

リベラルな姿勢は、1960年代当時から変わらなかった。2011年にフォンダはティム・ロビンスとともに『ビッグ・フィックス』というドキュメンタリー映画を制作した。この映画はディープ・ウォーター・ホライズンにおける油流出事件についてBPの責任を追及する作品だった。ピーター・フォンダはバラク・オバマ大統領に手紙も書いている[2]。ティム・ロビンスはスーザン・サランドンらとともに、俳優の中でも特にリベラル、左派と目されている俳優である。またドナルド・トランプによるメキシコ国境における母親と子供を引き離す鎖国政策を激しく非難した。

趣味はバイクで、若い頃には自らバイクを作ってしまったという。イージー・ライダーではハーレー・ダヴィッドソンに乗車した。日本のバイクでは北米・欧州向けモデルの1000ccバイクだけが欲しいと答えていた(『だいじょうぶマイ・フレンド』公開前の雑誌インタビューより)。また、スイスの時計スウォッチのコレクターでもある。
主な出演作品
映画

公開年邦題
原題役名備考
1963タミーとドクター
Tammy and the Doctorマーク・チェスウィック博士
勝利者
The Victorsウィーヴァー
1964リリス
Lilithスティーブン
若い恋人たち
The Young Loversエディ
1966ワイルド・エンジェル
The Wild Angelsヘブンリー・ブルース
1967白昼の幻想
The Tripポール・グローヴス
1968世にも怪奇な物語
Histoires extraordinairesウィルヘルム男爵オムニバス映画 第1話 「黒馬の哭く館」
1969イージー・ライダー
Easy Riderワイアット脚本・出演・製作
1971さすらいのカウボーイ
The Hired Handハリー・コリングス監督・出演
ラスト・ムービー
The Last Movie若い保安官
1973ふたり
Two Peopleエヴァン・ボナー
1974ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー
Dirty Mary Crazy Larryラリー
ダーティハンター
Open Seasonケン
1975悪魔の追跡
Race with the Devilロジャー・マーシュ
1976ダイヤモンドの犬たち


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