欧米だけでなく、日本の企業人や経営学者らに多大な影響を与え、ドラッカー学会が2005年に設立されている。
岩崎夏海の小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称『もしドラ』)は、高校の野球部の女子マネージャーが、偶然に入手したドラッカーの『マネジメント』の内容を、部の改革に活かす内容で、日本でのドラッカーのブームに一役買った。その著書が2010年3月17日放送のNHKクローズアップ現代『よみがえる“経営の神様”ドラッカー』(出演:上田惇生、糸井重里)[6] で紹介された時に、ドラッカーブームに火がついた。NHK総合テレビジョンでアニメ化(2011年4月)、映画化(同年6月)もされている。
コピアポ鉱山落盤事故に遭遇した作業員たちのリーダーであるルイス・アルベルト・ウルスアは、ドラッカーの愛読者である[7]。 日本では、1956年に立教大学で教えていた野田一夫が、当時の日本で馴染みのなかったドラッカーの著書『The Practice of Management』の邦訳書である『現代の経営』を出版し、日本に初めてドラッカーの学説を紹介した。当初、野田はこの本を出版するにあたってダイヤモンド社へ話を持って行ったが、「ピーター・ドラッカーという人の名前は聞いたことがありません。」ということで断られてしまったため、別の出版社(自由国民社)から出すこととなった。その頃は、どこの出版社も、あまり経営書の翻訳を出していない時代であった。出版されると同書はベストセラーとなり、日本でドラッカーが知られる契機となった。後年、ダイヤモンド社はペーパーバックの翻訳権をとって、現代経営研究会訳の『現代の経営』を遅ればせながら出版している[8]。 ドラッカーには、日本の古美術コレクターとしての側面もあり、自身により「山荘コレクション」と名付けられている。ドラッカーと日本美術との出会いは、1934年(1933年説もある)6月、ロンドンのバーリアントン・アーケードで催されていたロイヤル・アカデミー会員の夏季展示会に行こうとして迷い込んだ、日本政府主催の日本美術展覧会を見た経験による[注釈 2]。その後、第二次世界大戦下、米国の首都ワシントンD.C.に滞在すると、国外有数の日本美術コレクションがあるフリーア美術館で昼休みを過ごした。この時ドラッカーは書庫の一隅を与えられ、資料写真から選んだ数点の絵画をそこで見ることを許された。そんなある日、学芸員から「いつも日本の絵画、特に室町水墨画を請求されているのに気がついていましたか」と語りかけられ、ドラッカーはこの時初めて自分の好みを理解したという。こうして日本美術を勉強したドラッカーは1959年に初来日し、式部輝忠の扇面画と清原雪信の芙蓉図を購入、これらが最初のコレクションとなった。後に雪村周継作品などが加わった。 コレクションは室町水墨画と、近世の禅画や南画が主で、特に南画はコレクションの3分の1を占める。逆に国外のコレクターに人気が高い浮世絵は、肉筆浮世絵を含めて全くない。室町水墨画には、日本国内の美術館やコレクターでも所蔵していない遺品が極めて少ない画家や、伝記が殆ど知られていない画家が何人もおり、コレクションの特筆すべき特徴と言える。人から「コレクションを作るために、最も大切なことは何か」と問われると、「良い先生を見つけること」だと言う。ドラッカーは自身の先生として、日本有数の古美術商だった瀬津伊之助や藪本宗四郎や、美術史家の田中一松や松下隆章、島田修二郎、ジョン・マックス・ローゼンフィールドらを挙げている。 コレクションはドラッカー没後に散逸が懸念されたが、ある日本企業が197点を購入し、千葉市美術館に寄託した。2019年4月13日から一部が所蔵作品展として公開される予定である[9]。 ウォール・ストリート・ジャーナルは、1987年に行われた複数の講演を調査し、ドラッカーはときに事実に厳密でないと報じた。たとえば、日本の三井物産では英語が全社員の(社内)公用語だとある講演で語ったが、これは正確ではなかった。ドラッカーは「私が逸話を用いるのは論点を明確にするためであり、歴史を書くためではない」と弁明した。 ドラッカーは未来予想でも知られるが、その予想は必ずしも当たっていない。たとえば米国の金融センターはニューヨークからワシントンへ移るだろうと予想していた。[10] また、ドラッカーの核心的概念のひとつである目標による管理には欠陥があり、効率的に機能するかは必ずしも立証されていないとする指摘もある。批評家のデール・クルーガー(Dale Krueger)は、このシステムを実施するのは難しく、企業は目標を達成するために結局は統制を過度に重視し、創造性の育成に反することになってしまうと述べた。[11] ドラッカーの古典的な著作である「企業とは何か」
日本へのドラッカー学説の紹介
日本古美術コレクターとして
批判