ピーター・ジャクソン
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3000万ドルの製作費で北米興行収入1億ドルを突破した[4]。同年、アリス・シーボルドの同名ベストセラー小説を実写化した『ラブリーボーン』で監督に復帰。英国王室主催のチャリティーイベント「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス」2009年度招待作品に選出されロンドンで上映会が開催された。

スティーヴン・スピルバーグが監督を担当する『タンタンの冒険旅行』CGアニメ映画シリーズ第1作目『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』ではプロデューサー、また主にWETAデジタルでCGアニメーションの監修を担当する第一助監督として参加。きっかけは、当時実写での映像化を模索していたスピルバーグが、『ロード・オブ・ザ・リング』で用いられたモーション・キャプチャーの技術についてジャクソンに相談をもちかけたことによる。同作を実写ではなく3Dアニメーションとして製作する企画も、幼いころからタンタン・ファンであったジャクソンの発案であり、企画開発時から深く参加し、エンドクレジットには妻フランシス・ウォルシュや『ロード・オブ・ザ・リング』以降の共同脚本家フィリッパ・ボウエンも名を連ねている。

2008年に公式に製作がスタートした『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの前日譚「ホビットの冒険」を原作とした三部作映画『ホビット』では、監督にギレルモ・デル・トロを起用し、ジャクソンは脚本家・製作総指揮のみを務める予定であったが、スタジオの経営不振など相次ぐトラブルによる遅れでギレルモ・デル・トロが降板し、最終的にジャクソンが監督を務めることになった[5][6]。その後、同作の製作は順調に進み、2012年から2014年にかけて三部作が公開。監督としてはやむなく降板したデル・トロは、共同脚本としてクレジットに名を残している。

『指輪物語』の作者J・R・R・トールキンの友人でもあり映画ではサルマンを演じたイギリスの名優クリストファー・リーは、ジャクソンの手腕を高く買っていたのだが、『王の帰還』における自身の出演シーンを劇場版からカットした(エクステンデッド版では復活)ことに失望しジャクソンを痛烈に批判、不仲が噂された。しかし『ホビット』製作発表を受け、リーは別作品のインタビューの際に「また“中つ国”に戻りたいと思いますか?」という質問に対し「ああ、ニュージーランドだね。あの国にいるあの男の元でなら、あるいは、イエスだ」との旨を回答。2009年、ガンダルフ役のイアン・マッケランやその他のキャストと共に、サルマン役として『ホビット』への復帰が報じられた。その際、高齢でニュージーランドへの長旅が負担となるリーのために、ジャクソン始めスタッフ一同がイギリス・パインウッド・スタジオを訪れリーの場面を撮影した。

2014年、ハリウッドの殿堂入り[7]

2021年11月、WETAデジタルの一部を9億7500万ドルでユニティ・ソフトウェアに売却。これによりジャクソンの資産は15億ドルに達し、2022年のフォーブスのエンターテイナー部門で1位となった。

2021年にはザ・ビートルズのドキュメンタリー映画ザ・ビートルズ: Get Backを製作し、2023年11月に発表されたビートルズの最後の楽曲ナウ・アンド・ゼンプロモーションビデオの監督も務めている。
私生活

ニュージーランド出身の映画制作者の多くが海外に活動拠点を移す一方、ジャクソンは自身のスタジオをウエリントン郊外の地元に置いている。また、早くからコンピューターを用いた視覚効果技術にも精通している。

『バッド・テイスト』で知り合ったシナリオライターフランシス・ウォルシュとの間に2人の子供がいる。ウォルシュはジャクソン作品の共同脚本・プロデューサーも務めており、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』ではゴラム/スメアゴルの対話シーンなどの演出も手掛けている。

自身が監督を務めた映画にはすべてカメオ出演しており、『さまよう魂たち』ではパンク・ファッションの通行人を演じたその日にテレビ・クルーの取材が入り、パンク・ファッションでインタビューを受けるジャクソンの姿が全国に放映され、それを見た両親の誤解を受けたという。また『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』などにもカメオ出演しているが、小さな役柄での出演のためクレジットタイトルに名が載ることはない。また『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』の最初のテスト映像では、ジャクソン自身がハドック船長を演じており、その姿はメイキングや「Art of The Adventure of Tintin」などで見ることができる。

さまよう魂たち』や『ラブリーボーン』にはジャクソンの2人の子供たちが、『ラブリーボーン』にはジャクソン家の飼い犬もカメオ出演している。

『ロード・オブ・ザ・リング』の功績を評価され2001年マッセー大学より名誉文学博士号を授与されている(同学位記はフランシス・ウォルシュへも授与されている)[8]

長らく肥満体形であり、髭と眼鏡がトレードマークであったが、近年ダイエットにより30kgの減量を果たし、中肉の体型となった[9]。同時に近視を治す手術もしてトレードマークの眼鏡も外した。

2002年にエリザベス2世女王よりニュージーランド・メリット勲章(コンパニオン)を授与され、2009年12月31日に映画界への貢献によりニュージーランド・メリット勲章(ナイト)を授与され“サー (Sir)”の称号を得る。

また、大変な航空機マニアとしても知られている。ガルフストリーム G650を所有しており、マレーシア航空370便捜索隊に派遣した他、第一次世界大戦中の軍用機を専門とするプラモデルメーカー、「Wing nut wings(ウイングナットウイングス)」のオーナーでもある[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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