ピーター・ジャクソン
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9歳のときにテレビで見た『キング・コング』に魅了され、両親が友人夫妻から貰った8mmカメラを使い短編映画を撮り始める。12歳の頃にはボール紙で作ったエンパイア・ステート・ビルをセットに『キング・コング』のリメイクに挑戦するが、技術の未熟さを痛感し断念。しかしこの時の熱意は30年後に成就することとなる。

17歳で高校を中退し、イブニング・ポスト社(現・ドミニオン・ポスト社)に入社。写真技術者見習いとなる。新聞社の研修でオークランドへ派遣された際、長時間の列車移動の暇つぶしに『指輪物語』を持参。車中で大きな感動を覚えた。その後、友人たちとスプラッター映画の自主制作を開始。学生映画祭やアマチュア映像展に出品するも評価は得られなかった。
キャリア

1987年に製作プロダクション「ウイングナット・フィルム」を設立。同年、監督・脚本・主演・特撮を手掛け4年の歳月を掛け完成させた『バッド・テイスト』がカンヌ国際映画祭で評価され、一躍カルト映画の監督として世界的に名が知れるようになる。1989年に『ミート・ザ・フィーブル』を制作し、特撮を担当したクリエーターのリチャード・テイラーと知り合う。以降『ロード・オブ・ザ・リング』を含め二人の共同作業が始まる。

1993年VFX会社WETAデジタルを設立しカルト色の強いスプラッター・ホラー映画を製作。1994年に公開された『乙女の祈り』(英題: Heavenly Creatures)では、それまでのホラーコメディー作品から大きく作風を変え、ティーンエイジャーの不安定な内面を幻想的な映像表現で描いた。ジャクソンはこの映画でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)他、16の映画賞を受賞した。1995年に、ニュージーランドの映画制作者コリン・マッケンジーを描いた擬似ドキュメンタリー作品『Forgotten Silver』を発表。1996年ロバート・ゼメキスプロダクションとの共同制作でマイケル・J・フォックスを起用した『さまよう魂たち』(英題: The Frighteners)を公開しハリウッド映画へ本格参入。1995年に『キング・コング』のリメイク制作が決定していたが『GODZILLA』や『マイティー・ジョー』など競合する特撮映画が多く公開されることから、商業的手腕に対し疑問を感じたユニバーサル映画は制作を凍結した。ジャクソンはこのころより『ロード・オブ・ザ・リング』の構想を具体化し始める。

2001年から2003年に公開されたJ・R・R・トールキンの『指輪物語』を原作とする『ロード・オブ・ザ・リング』三部作はニュージーランド国内で撮影を行い、壮大な映像表現による長編映画作品を完成させた。特に完結編である『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』はアカデミー賞トップタイの11部門を受賞。ジャクソンもアカデミー監督賞アカデミー脚色賞を受賞した。この偉業達成により世界的なフィルム・メーカーとなった。

『ロード・オブ・ザ・リング』の成功によりユニバーサル映画は再度ジャクソンに『キング・コング』の製作を依頼する。ジャクソンは長年の夢であった1933年制作の『キング・コング』[3]のリメイク権を獲得し『キング・コング』を公開。自費で製作費の一部を捻出したこの作品でも成功を収めアカデミー賞3部門を受賞した。

2006年、マイクロソフトのゲーム『Halo』の映画化を発表したが、配給元の資金難を理由に無期限延期となった。その後はプロデューサー業に専念していたが、『Halo』の制作発表の際に集められたスタッフ及びキャストをプロデュースし2009年に『第9地区』を公開。3000万ドルの製作費で北米興行収入1億ドルを突破した[4]。同年、アリス・シーボルドの同名ベストセラー小説を実写化した『ラブリーボーン』で監督に復帰。英国王室主催のチャリティーイベント「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス」2009年度招待作品に選出されロンドンで上映会が開催された。

スティーヴン・スピルバーグが監督を担当する『タンタンの冒険旅行』CGアニメ映画シリーズ第1作目『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』ではプロデューサー、また主にWETAデジタルでCGアニメーションの監修を担当する第一助監督として参加。きっかけは、当時実写での映像化を模索していたスピルバーグが、『ロード・オブ・ザ・リング』で用いられたモーション・キャプチャーの技術についてジャクソンに相談をもちかけたことによる。同作を実写ではなく3Dアニメーションとして製作する企画も、幼いころからタンタン・ファンであったジャクソンの発案であり、企画開発時から深く参加し、エンドクレジットには妻フランシス・ウォルシュや『ロード・オブ・ザ・リング』以降の共同脚本家フィリッパ・ボウエンも名を連ねている。

2008年に公式に製作がスタートした『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの前日譚「ホビットの冒険」を原作とした三部作映画『ホビット』では、監督にギレルモ・デル・トロを起用し、ジャクソンは脚本家・製作総指揮のみを務める予定であったが、スタジオの経営不振など相次ぐトラブルによる遅れでギレルモ・デル・トロが降板し、最終的にジャクソンが監督を務めることになった[5][6]。その後、同作の製作は順調に進み、2012年から2014年にかけて三部作が公開。監督としてはやむなく降板したデル・トロは、共同脚本としてクレジットに名を残している。

『指輪物語』の作者J・R・R・トールキンの友人でもあり映画ではサルマンを演じたイギリスの名優クリストファー・リーは、ジャクソンの手腕を高く買っていたのだが、『王の帰還』における自身の出演シーンを劇場版からカットした(エクステンデッド版では復活)ことに失望しジャクソンを痛烈に批判、不仲が噂された。しかし『ホビット』製作発表を受け、リーは別作品のインタビューの際に「また“中つ国”に戻りたいと思いますか?」という質問に対し「ああ、ニュージーランドだね。


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