ピリッポス_(マカタスの子)
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
紀元前327年にピリッポスはアレクサンドロスによってインドの太守に任じられ[1]、翌紀元前326年にはオクシュドラカイ人とマッロイ人の地方も付け加えられた[2]。同年にピリッポスは傭兵隊長に陰謀を仕組まれて殺された。彼の代役としてエウダモスとタクシレスが充てられたが、公式に後任を定める前にアレクサンドロスは死んだ[3][4]。ドロイゼンは、このピリッポスはアンティゴノス1世の父であると考えている。少なくとも、ピリッポスとアンティゴノスの両者はマケドニアのエリミアの人である。
註^ アッリアノスV. 8
^ アッリアノス, vi. 14
^ アッリアノス, vi. 27
^ クルティウス, X. 1. 20
参考文献
アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』 大牟田章訳、岩波文庫(上下)、2001年
クルティウス・ルフス『アレクサンドロス大王伝』 谷栄一郎・上村健二訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2003年
William Smith ⇒Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology
記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:4025 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef