2日での審査は不可能な文学が対象のため、応募期間はジャーナリズム部門とやや異なる。応募は二期に分かれ、1月1日から6月30日までに出版されたものは7月1日までに、7月1日から12月31日までに出版されたものは11月1日まで審査事務局に4部提出しなければならない。この場合、11月2日以降に出版するものは応募が不可能に見えるが、11月2日以降のものに関してはゲラ刷りでの提出が可となっている。他は75ドルの審査料も含めてジャーナリズムとあまり大差はない。各部門3人の審査員は、大学教授、作家、編集者、評論家によって構成されている。こちらは、ジャーナリズム部門とは異なり、審査員は受賞まで明らかにすることはできない。出版物ではない「戯曲」に関しては脚本6部の提出と、鑑賞のために必要となるチケットの提供が必要となる。これは人気作であっても、予定通り鑑賞するための処置だった。これらの審査が終わると、3作品を選定してピュリッツァー賞理事会に送り、以後はジャーナリズムと同じ手続きで審査される。
音楽部門
アメリカで初演されたアメリカ人の作品というのが不可欠な条件で、選定の段取りとしては戯曲に準ずる。審査員は音楽大学の教授、作曲家、音楽評論家らが任命され、3作品をピュリッツァー賞理事会に送ると、以後はジャーナリズム及び文学部門と同じ手続きで審査される。 詳細はピューリッツァー賞受賞者 多くの人がピューリッツァー賞を複数受賞している。 ネルソン・ハーディング
複数回受賞者
個人
以下は、ピューリッツアー賞を3回以上受賞した者のリストである。 名目上、ピューリッツアー賞の公益部門は報道機関にのみ授与され、個人には授与されない。稀に、応募の寄稿者が個別受賞者と似た方法で表彰に選出されることがある[14][15]。ジャーナリズム賞は、個人、新聞社、新聞社スタッフに授与されることがある。稀に、スタッフ賞の授与もまた著名な寄稿者の活動を際立たせる[16]。 ピューリッツアー賞は、報道、芸術、文学、フィクションに関連する部門からなる。米国の新聞、雑誌、報道機関(ニュースサイトを含む)が「定期的に刊行する」報道や写真が報道部門賞の対象となる[17]。2007年からは「応募を静止画像のみに限定する2つの写真部門を除き、全ての報道部門でオンライン要素の素材が許可される[18] 」ことになった。2008年12月に、オンラインだけのニュースソースに掲載されたコンテンツが初めて考慮される(審査対象になる)ことが発表された[19]。 雑誌所属の受賞者(特にモネタ・スリート・Jr
芸術・文芸
4回受賞
ロバート・フロスト、詩
ユージン・オニール、戯曲
ロバート・E・シャーウッド(英語版)、戯曲(3)と伝記
3回受賞
エドワード・オールビー、戯曲
アーチボルト・マクリーシュ、詩(2)と戯曲
エドウィン・アーリントン・ロビンソン(英語版)、詩
カール・サンドバーグ、詩(2)と歴史
ロバート・ペン・ウォーレン、詩(2)とフィクション
ソーントン・ワイルダー、戯曲(2)と小説
芸術・文芸と批評
3回受賞
ウィリアム・アレン・ホワイト(英語版)、社説、特別賞(死後、妻のサリー・リンゼイ・ホワイトに贈呈)、自伝(死後)
ジャーナリズム
4回受賞
キャロル・ガジー(英語版)、速報ニュース写真、特集写真、スポットニュース写真(2)
3回受賞
デイビット・バーストウ(英語版)、公益(名前つき寄稿)と調査的報道(2)
ウォルト・ボグダニック(英語版)、特別報道、国内報道、調査的報道
ジョー・ベッカー(英語版)、国内報道(2)、国際報道(スタッフ)
ポール・コンラッド(英語版)、時事漫画
ミシェル・ドゥ・シレ(英語版)、スポットニュース写真、特集写真、公益(名前つき寄稿)
エドムンド・ダフィー(英語版)、時事漫画
トーマス・フリードマン、国際報道(2)と解説
ハーブロック、時事漫画(共同受賞の公益部門を入れれば4回)
ローリン・カービー(英語版)、時事漫画
ジェフ・マクネリー(英語版)、時事漫画
ウィリアム・スナイダー(英語版)、説明的報道、特集写真、スポットニュース写真
新聞社
日本人の受賞者
1961年写真部門:『浅沼社会党委員長の暗殺』長尾靖(ながお・やすし。1930年-2009年)(毎日新聞)山口二矢による浅沼稲次郎暗殺事件の瞬間を撮影したもの。撮影の経緯は沢木耕太郎著『テロルの決算』(文春文庫)に詳述されている。
1966年写真部門:『安全への逃避』沢田教一(さわだ・きょういち。1936年-1970年)(UPI通信社)ベトナム戦争で銃弾を避けながら河を渡ろうとする母子の姿を撮影した作品。
1968年写真部門:『より良きころの夢』酒井淑夫(さかい・としお。1942年-1999年)(UPI通信社)
部門
2015年、雑誌が初めて2部門(調査報道と特集記事)に参入することが許された。2016年までに、この規定はさらに3部門追加(国際報道、批評、時事漫画)に拡張された[20] 。その年、『ザ・ニューヨーカー』 のキャスリン・シュルツ(英語版)(特集記事)とエミリー・ナスバウム(英語版)(批評)が、この拡張された適格基準で賞を受賞した最初の雑誌所属者となった[21]。