ピッグス湾事件
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キューバ問題に関しての二人のやり取りは以下のようなものであった[18]

ケネディ

フルシチョフ首相がアメリカの動きを基にして判断しなければならないように、私はソ連が次にどう動くかに基づいて判断を下さねばならない。だからこれらの判断に、より大きな正確さをもたらすものにしなければならない。それによって国を危険に曝すことなく競争の時代を生き抜くことができる。


フルシチョフ

危険はアメリカが革命の原因を誤解したときにのみ起こる。革命はすべて内発的なものであり、ソ連が作り出したものではない。キューバに対してアメリカはバチスタを支持し、このことがキューバ国民の怒りがアメリカに向かっているのです。大統領が決断したキューバ上陸作戦はキューバの革命勢力とカストロの地位を強めただけです。もともとカストロは共産主義者ではない。しかしアメリカの政策が彼を共産主義者に変えたのです。私も共産主義者に生まれたわけではない。資本主義者が私を共産主義者にしたのです。わずか600万人のキューバがアメリカにとって脅威ですか?アメリカがキューバに思いのまま自由に行動できるとすればアメリカ軍の基地があるトルコイランにソ連が干渉するのも自由になります。この状況が大統領の言う誤算を引き起こすことになります。


ケネディ

私はバチスタを支持していない。自分が懸念しているのはカストロが地域のトラブルの基地に変えてしまうことです。キューバがアメリカにとって脅威ではないのと同じくトルコやイランもソ連の脅威とはなりえない。

このピッグス湾事件後もケネディ政権はカストロ政権の打倒を目ざして、キューバ国内へのクーデター支援・政権打倒工作、ゲリラ攻撃、カストロ暗殺工作などマングース作戦と呼ばれる工作を続け、このままではアメリカ合衆国から政権を打倒されると危機を感じたカストロが、1962年5月にソビエト連邦に軍事的支援を求めて、核ミサイルの搬入とミサイル基地の建設に入り、その結果1962年10月のキューバ危機を招くに至った。

2011年4月にはこのピッグス湾事件から50年を記念した式典がキューバ国内で行われた。
脚注
注釈^ この亡命キューバ人部隊の名称は様々であるが、アメリカでは『二五〇六部隊』と命名されていた。「チェ・ゲバラ」井高浩昭 著 149P参照
^ 1959年1月7日にアメリカはこの政権を承認している。
^ 制裁は国際連合総会からの非難と再三の解除要求決議にも拘らず50年以上解かれなかったが、2015年7月に国交を回復した。
^ 落合信彦著「2039年の真実」では4月4日に開催したことになっているが、フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」上巻では4月5日に開催したことになっている。またこの作戦計画にゴーサインを出したのは3月11日で、4月5日に会議を開き、4月7日にケネディはトルーマン政権で国務長官だったアチソンに、このキューバでの作戦計画を明らかにしている。それに対してアチソンは衝撃を受けて「クレイジーだ」と語っている。「ベルリン危機1961」上巻 219-220P
^ジョンソン副大統領、ラスク国務長官、マクナマラ国防長官、ロバート・F・ケネディ司法長官らに説得され、作戦の実行を決意した」との言説があるが、陸海空三軍の最高司令官である大統領が閣僚に説得されて作戦実行を決めたなど、およそ奇妙な話である。統合参謀本部議長やCIA長官が説明して大統領が裁可するのであって、合議制のもとで決定しているのではない。この時も重い疑念を持ちながらも前任のアイゼンハワーが進めた作戦であり、実行はケネディ大統領自身の判断であった。そしてこの苦い経験が、翌年秋のキューバ危機で最後の土壇場で空爆支持が閣僚も含めて多数を占めても、大統領が1人反対して強いリーダーシップを発揮することとなり、後にケネディへの高い評価となって表れている。
^ 作戦実行の3カ月前の1961年1月10日にニューヨーク・タイムズ紙が紙面で、グアテマラ北部の密林で外国軍事顧問団が侵攻部隊を訓練している、と報じていた。マイアミのキューバ人地域では早くもカストロ政権崩壊後の新政権首班が誰になるかの話で持ち切りであった、と言われている。井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」149P 参照
^ H・M・エンツェンベルガー著「ハバナの審問」では、大統領にホセ・ミロー・カルドーナで、首相にマヌエル・アントニオ・デ・バロナを予定していた。カルドーナはカストロとともに革命に参加して革命後に1959年にキューバ首相に就任した。バロナは1948年にキューバ首相を歴任している。

出典^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年2月17日閲覧。
^ 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “コチノス湾侵攻事件(コチノスわんしんこうじけん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月22日閲覧。
^ a b 井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 99P


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