ピカデリーサーカス
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ピカデリーサーカス一帯は1900年代初頭から、人の流れが多い他の場所に違わず、数多くのネオンサインがビルの外壁に掲示されていたが、現在ピカデリーサーカスで広告が掲示されているビルは、シャフツベリー・アベニューとグラスロード・ストリートに挟まれた北西の一帯のみである。この北西部分に特別な愛称等は付けられていない(以前モニコ(Monico)という喫茶店がこのビルに入っていたためそう呼ぶ人もいる)。なお、このビルは1970年代からランド・セキュリティ・グループという不動産投資会社が所有している。

ピカデリーサーカスに最初の広告のネオンサインが登場したのは1908年ペリエが出した広告である[1]

初期の広告には白熱電球が用いられていたが、ネオン管を用いたものへとかわり、一時期にはギネス社による巨大な時計を模したユニークな広告も登場した。短期間だがコカ・コーラ社がプロジェクタを用いた広告を流していたこともあり、しかし2000年代に入りロンドンオリンピックを控え順次LED表示へと変更された。なお、この地区に掲示される広告の数は、広告料が年を追って上昇することにより、減少傾向にある。

第二次世界大戦の影響で1939年から1949年までの間は電光掲示板は消灯されていた[1]。電光掲示板は環境保護キャンペーンなどで消灯されることもあるほか、ウィンストン・チャーチルダイアナ妃の葬儀の際にも消灯された[1]ピカデリーサーカス南側から見るパノラマ (2007年)

2005年現在、この北西部分にはピカデリーサーカスに面して、ブーツ、バーガーキングGAPが店舗を構えており、他の通りに面した部分はレストランやオフィスとなっている。2003年11月、それまではネスレが広告を掲示していた場所にコカ・コーラがLEDを用いた広告を掲示した。このコカ・コーラ社の広告の下にはTDKヒュンダイの広告があり、隣にはマクドナルド社の広告がある。コカ・コーラ社の隣にはサムスンの広告があり、2005年にネオン管からLEDの広告へと変更された。現在ヒュンダイが設置している位置には1978年から三洋電機がネオンサインを設置していたが、パナソニック(同社も現在のサムスンの位置に広告を掲出していた)との合併によるブランド消滅やLED広告への改修費の負担ができなかったため2011年に撤退している。2015年にはTDKも広告を取り下げたため、ピカデリーサーカスから日本企業の広告が姿を消すこととなった[2]

ボーダフォン社もまたピカデリーサーカスに面したコヴェントリー・ハウスの屋上部分に広告を掲示している。この広告では、ウェブサイトから日時を指定してメッセージを表示するサービスが行われている。

従来は6枚のスクリーンを組み合わせた電光掲示板であったが、2017年の改修により耐久性の高い1枚のスクリーンに変更され企業広告のほかにニュースや天気予報なども表示されることとなった[1]
シャフツベリー伯記念噴水と「エロス」広場中央の噴水とエロス

広場の中央にある噴水は第7代シャフツベリー伯の活動を記念して建造されたもので、「キリスト教的慈愛を表す天使(The Angel of Christian Charity)」と呼ぶ人もいる。なお、1980年代の改修工事により、当初はシャフツベリー・アベニューの起点である交差点中央から交差点南側の歩道部分に移設されている。

この噴水は1892年から93年に建造されたものである。設計者はアルフレッド・ギルバートであり、噴水の頂点には翼を広げた「キリスト教的慈愛を表す天使」の像が備え付けられている。なお、この像はギリシャ神話の愛の神である「エロス」と呼ばれることが多いが、ギルバートはエロスの双子の弟であるアンテロスを意識してこの像を設計している。「エロス」は1つのロンドンの象徴として認識されているため、イブニング・スタンダード紙は奥付欄にこの像のイラストを採用している。

デザインが裸であるため、建造時には公共空間にそのような像は相応しいかどうか、という議論も起こったが、現在では市民に広く受け入れられている。「エロス」についてアート誌は次のように述べている。「…私たちの街の通りに多い、退屈で醜い彫刻とは真に対照的な作品であり、…(中略)…これまでの侘しかった公共空間を美しく彩る作品である一方、市民の嗜好をより素晴らしい方向へと導く作品でもあり、加えてかつてのような途方もなく奇怪な作品がこれ以上この街に創造されることから解き放つ作品でもあろう。」

素材はアルミニウムであり、アルミニウムで製作された像はこれが世界で最初のものである。以前はシャフツベリー・アベニューの方向、すなわち交差点真ん中から北方向を指し示していたのだが、第二次世界大戦中は、この噴水の上部に取り付けられている「キリスト教的慈愛を表す天使」は取り外され、広告が備え付けられていたが、1948年に元に戻されている。

この「エロス」が本来は双子の弟、アンテロスを意識して制作されたという事実は、ウェストミンスター区の記録に残っている。アルフレッド・ギルバートはこの像の制作依頼が舞い込んだ時、既にアンテロスを模した像を制作し終えており、第7代シャフツベリー伯の慈善活動への姿勢がまさに「私心のない愛の天使」そのものだと感じたため、同様のモチーフで再度像を制作しようと試みた。ギルバートはアンテロスを通して、「エロスもしくは天使のような、軽薄な暴君とは正反対の、思慮深く成熟した愛」を描こうと考えていた。この像のモデルとなったのは16歳のイタリア人アンジェロ・コラロッシ(英語版)である[3]。この像が設置された時、像はドーセット州にある伯爵の大邸宅、ウィムボーン・セント・ジャイルズの方向を指し示していた。

この像が公開された時、市民からは多くの苦情が寄せられた。あるものは劇場街であるこの街にふさわしくない下品なものであると非難し、またあるものは非常に穏当で尊敬されている伯爵に敬意を表するための作品としては生々しすぎるのではないか、と非難した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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