この無理を冒すためにミケランジェロはあえて二人の像の均整を取らないという手段を採っており、かりにイエス像の大きさが等身大のものとすると、同じ縮尺で換算したマリアの身長はイエスより大きくなってしまうという不自然さが残る(とはいえ、マリア像の大半は彼女のドレスの内に隠されているため、まったく自然に見えないわけではない)。しかし、これはミケランジェロの設計ミスではない。例えばダビデ像なども下から見上げたときに均整の取れた肉体と映るよう設計されているため、真横から眺めるとどことなく不恰好に見える。同様の作為が施されたピエタ(前述の通り当初は別のところに展示されていた)の設置場所を変えたために生じたことであり、はじめから高所へ設置されることに決まっていたならば、観覧者の目の錯覚を逆利用して補正するように変形することがミケランジェロには可能だったことは明らかである。 聖母マリアが非常に若々しく表現されているという特色については、さまざまな解釈がなされている。ミケランジェロ自身が彼の伝記作家であり彫刻家仲間でもあったアスカニオ・コンディヴィ
解釈
次いでよく知られる解釈は、ミケランジェロがダンテの『神曲』から強く影響を受けたというものである。この詩篇に対するミケランジェロの熱中ぶりは、ボローニャにいたころは給料を支払ってまで『神曲』を暗誦できる者を傍に置いていたという逸話によっても知られる。「天国篇」第33歌において、マリアのために祈りを奉げる聖ベルナルドの「Vergine madre, figlia del tuo figlio (母なる処女、汝が子の娘)」という科白がある。マリアが「自分の息子の娘」になるのは、イエス・キリストは三位一体の位格の一つであるため、マリアは(他のすべての人間と同様に)イエスの子であるが、イエスの母であることもまた事実だという神学的な理屈だが、ミケランジェロはこれに依拠していたのだという説である。
第三の解釈は、前記引用文の後に続けてコンディヴィが記したミケランジェロ自身の言葉である。聖母マリアのこうした瑞々しさと華やぐ若さは、自然の摂理によってだけではなく、神の力によっても支えられているものなのだ。
また、鑑賞者が実際に眼にしているのはまさに幼子のイエスを抱いているマリアの姿に他ならないのだとする説もある。マリアの若々しい容貌や穏やかな表情に加えその腕の位置などは彼女が自分の幼い子供を見つめているさまを表現しており、鑑賞者はそこに将来のイエスの姿を映し見ているのだというのである。
なお、ミケランジェロ自身は6歳のときに母を亡くし、その後里子に出されている。そこで、亡き母を思い描いて聖母に投影したという見方もある。
またカトリック教会には、聖母マリアの母が、原罪なくマリアを懐妊したという教義が存在する(聖母の無原罪の御宿り)。したがって聖母マリアは死を免れることになる。このために、カトリック圏で描かれる聖母マリアは例外なく若い女性の姿を取り、老いた聖母の図像は皆無である。なぜなら、老いは死の前兆であるので、死を免れたマリアは老いることもない、ということになるからである。ピエタの聖母が、処刑当時30歳前後と推定されるイエスの母としては若すぎる背景には、このような神学的観念も影響していると考えられる。 ミケランジェロが手がけた2つ目のピエタは、現在の収蔵場所であるフィレンツェのドゥオーモ博物館にちなんで『フィレンツェのピエタ』または『ドゥオーモのピエタ』と呼ばれる。正確な制作年代は明らかになっていないが、コンディヴィの伝記やヴァザーリの証言などから、1547年 - 1548年に着手して1552年 - 1553年まで制作を続けていたことはほぼ間違いのないこととされている。ともあれ、この作品はミケランジェロ自身の手によって壊され(彫刻家がみずからの作品を破壊した例としては最初のものである)、未完成のまま残されることとなった。 ミケランジェロがその晩年に制作した彫刻3点(『パレストリーナのピエタ』を真作と認めないならば2点)はいずれもピエタを題材とするものであった。1540年代の半ばを過ぎたころのミケランジェロは、親しい友人を次々と失ってゆく孤独感に加えて肉体の衰えも顕著になり、自身の死をも意識せざるをえなくなっていた。約半世紀ぶりにピエタの制作へ挑んだのは、それを自分の墓所に飾るためだったのである。1555年頃にこの作品の制作を放棄するまで、ミケランジェロはローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にこの像を飾り、その足下へ埋葬されることを望んでいたという証言をヴァザーリやコンディヴィがそれぞれ残している。 ミケランジェロがこの作品を途中で壊して制作を放棄するに至った原因や正確な日時についても、いくつかの食い違った証言が残っているばかりで判然としない。大理石の質が悪くてうんざりしていたので壊したという説や、イエスの足が不慮の事故で壊れたのが先で、ミケランジェロは止めを刺しただけだという説などがあるが、いずれにせよミケランジェロはこの作品にみずからハンマーを打ち下ろし、イエスの左の手足とマリアの腕が壊された。 像の主部と腕の破片は弟子のアントニオ・ダ・ウルビーノ この作品には4人の人物が描かれている。十字架から降ろされたばかりのイエスの遺体(中央)、ニコデモ(上)、マグダラのマリア(左)、未完成のままの聖母マリア(右)である。 ミケランジェロがこの作品において心がけたのは、史実にもとづいた場面を描くことよりも「Non vi si pensa quanto sangue costa(いかほどの血が流れたのか、知るよしもなし)」(『神曲』「天国篇」第29歌)という自分自身に対する個人的な訓戒を形にすることだったようである。この一節は、彼が思慕を寄せる未亡人ヴィットリア・コロンナのために書いた「ピエタ」の素描において十字架の柱に書かれていたものであり、この素描の構図こそ、晩年に制作された一連のピエタの出発点となったものだからである。ただ、4人の人物の配置こそ引き継がれているものの、素描においては中央のイエスを囲んで上には十字架を背にして天を仰ぐ聖母マリアが、左右にはイエスの腕を取る2人の天使がいたのに対し、フィレンツェのピエタにおいてはマリアがいた位置にニコデモが、天使のいた位置に聖母とマグダラのマリアが置かれることになった点が注目に値する(フィリッポ・リッピによる先行作品を参考にした可能性が指摘されている)。
フィレンツェのピエタ『フィレンツェのピエタ』。
概要
構成