ピウス12世_(ローマ教皇)
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Pinchas Lapideというユダヤ人の外交官によれば、ピウス12世によって、70?85万人ものユダヤ人が救われたという[11]。多数のユダヤ系組織もLapideを支えている[12][13]

これによって戦後、イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている。ヒトラーもカトリック教会やピウス12世を快く思っていなかった[14]。イタリアの降伏後、ヒトラーはピウス12世の拉致を計画したが、イタリアに進駐していた親衛隊大将カール・ヴォルフは悪影響が大きすぎるとして実行しなかった。

1964年から1985年にかけて、バチカンによって「Acts and Documents of the Holy See related to the Second World War」というバチカン・アーカイブのピウス12世に関する史料が公開・出版された。全てはオンラインで閲覧できるようになっている[15]。これらの資料により、ピウス12世のユダヤ人に対する活動が明らかになるという[16][17]
聖母の被昇天

ピウス12世は1950年大聖年にあたり、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国に挙げられたという「聖母の被昇天」を正式に教義として宣言した。これにより、20世紀に入ってから不可謬権を行使した唯一の教皇となった。
ビッグバン理論

宇宙はビッグバンから生じたという考えが世の中に広がり始めたころ、ピウス12世はビッグバン理論が創世記の記述を裏付けているとする公式声明を発表した(1951年11月21日)。ビッグバン理論の提唱者にしてカトリックの修道士でもあったジョルジュ・ルメートルは、教皇の姿勢に大きな危惧を覚え、教皇の科学顧問に連絡を取り、科学と信仰をこのような形で混同しないよう懸命に教皇庁を説得した。その結果、ピウス12世は納得し、二度とこの件については触れなかったという[18]
死去

晩年は健康状態が悪化し、1958年10月6日に脳の発作で倒れ、10月8日にも再び発作が起こり、危篤となった。そして10月9日午前3時52分(日本時間11時52分)に死去した。
列聖調査

ヨハネ・パウロ2世の時代に入ると列聖調査が進められ、聖人へのステップである尊者2009年12月内定したが、批判もある。
没後

没後、その数奇な生涯が様々な角度から取り上げられている。

ホロコースト研究者の間では、「ローマに住むユダヤ人が連行されているにもかかわらず一貫して沈黙を通した」「ユダヤ人の抹殺を看過するかわりに、バチカンがはっきりとユダヤ人迫害を非難すれば、ドイツも決して思い通りにはできなかった」という見解が主流である。批判的な立場からナチスと教皇庁の関係を描いた作品として、ロルフ・ホーホフートの戯曲『神の代理人』があり、コスタ・ガブラス監督によって『ホロコースト -アドルフ・ヒトラーの洗礼-』というタイトルで映画化されている。

日本では大澤武男が、批判的な立場に立った著作『ローマ教皇とナチス』において、ピウス12世がナチス政権下のドイツのユダヤ人迫害をはっきりと批判しなかった理由として、

教皇自身がドイツ赴任中にドイツ人への好感を培っていた

キリスト教会の伝統的な反ユダヤ感情

宗教を否定する共産主義に対する防壁としてのナチス党政権下のドイツへの期待

ナチス党政権下のドイツの暴力が無防備なカトリック教会に向けられることへの恐怖

を挙げている。ただし、『ローマ教皇とナチス』の大半は英国のジャーナリスト、ジョン・コーンウェルの著作『ヒトラーの教皇』(Hitler's Pope)を無検証に引き写した粗雑な取材に基づいており、研究者の間では一級資料とはみなされていない。

ナショナルジオグラフィックが2016年に制作したテレビ番組『ヒトラーの教皇 闇の真実』(原題:Pope vs. Hitler)では、ピウス12世が第二次世界大戦の開戦前から、ドイツ国内にいる反ナチス派の政治家(ヨーゼフ・ミュラー(英語版)ら)やドイツ国防軍将官らへ密かに連絡を取り、ヒトラー暗殺計画などに支持を与えていた。ナチスを公然と非難しなかったのは、ヒトラーを怒らせて、より残虐な行為を招きかねない刺激を避けたため??とする取材・研究結果に基づく再現ドラマを放映した[19][20]

HBOが2016年に制作したテレビドラマ『ヤング・ポープ』の主人公の名前はピウス13世であり、12世を意識した名前になっている[21]

いずれにせよ、戦後、批判的な評価にさらされていたものが、世紀が変わった後、その評価も変わりつつあるといえる。
参考文献

大澤武男『ローマ教皇とナチス』(
文春新書2004年ISBN 4-16-660364-7

Blet, Pierre (1999). Pius XII and the Second World War : According to the Archives of the Vatican. New York : Paulist Press. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0-8091-0503-9

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河島幸夫「ドイツ政治史とキリスト教―西南での研究と教育の40年―」『西南学院大学法学論集』44巻(号)3・4、西南学院大学学術研究所、2012年3月、67-80頁、NAID 120005495957。 

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Sanchez, Jose M. (2002). Pius XII and the Holocaust: Understanding the Controversy. Washington D.C.: Catholic University of America Press. ISBN 0-8132-1081-X.

出典[脚注の使い方]^ 塩崎弘明 1968, pp. 90.
^ 塩崎弘明 1968, pp. 99.
^ 河島幸夫 & 2012-03, p. 75-76.
^ 泉彪之助 2003, p. 302.
^ 泉彪之助 2003, p. 283.


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