外部ミュージシャンの例では、セッション・ドラマーのアンディ・ホワイトが、デビュー曲となった「ラヴ・ミー・ドゥ」のレコーディングに参加している。ただし、これはプロデューサーのジョージ・マーティンの判断によるもの[25]である。メンバーの意向による参加ミュージシャンの例では、クラシック音楽の分野から「イエスタデイ」で弦楽四重奏、「エリナー・リグビー」で弦楽八重奏、「ペニー・レイン」ではピッコロ・トランペットのソロにデヴィッド・メイスンが招かれている。同じロックやポップスの分野では「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でリードギターを担当したエリック・クラプトンや、「レボリューション」でエレクトリックピアノを弾いたニッキー・ホプキンスが挙げられる。プロデューサーのジョージ・マーティンは「イン・マイ・ライフ」、「グッド・デイ・サンシャイン」、「ラヴリー・リタ」などの間奏でピアノを、「ベイビー・イッツ・ユー」ではチェレスタ、「サン・キング」ではオルガンを弾いている。また、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズは「ユー・ノウ・マイ・ネーム」のレコーディングにサックスで参加。アルバム『レット・イット・ビー』のセッションにはビリー・プレストンがエレクトリックピアノやハモンドオルガンで参加している。ただし、外部から参加したミュージシャンはプレストンを除きレコードのクレジットには記載されていない。 メンバー4人のうちマッカートニーとスターは左利きである。マッカートニーは左利きだと述べている[26]。スターは文字を書く時以外は左利きだと述べている[27][28]。マッカートニーは、ベースやギターの左利き用の物の使用や(ただし、ドラムのみは右手で叩いている)、文字を左手で書いている写真・映像がある。 自作曲はすべてメンバーが作詞作曲しており、最も多いクレジットはレノンとマッカートニーの共作名義である「レノン=マッカートニー」で、ビートルズナンバー213曲の内、144曲が「レノン=マッカートニー」名義で発表されている。それ以外のビートルズの公式発表曲(オリジナル曲)には、名前の並びが逆の「マッカートニー=レノン」作品8曲、「ジョン・レノン・アンド・ポール・マッカートニー」が13曲[注釈 23]、ハリスンの作品22曲、スターの作品2曲、レノン=マッカートニーとスターの共作1曲、全員の共作2曲が含まれている。未発表曲集『ザ・ビートルズ・アンソロジー』には、レノンとハリスンの共作、マッカートニーとハリスンの共作の作品も収録されている。
利き手
作詞作曲
デビュー直前までの経歴
クオリーメン結成からビートルズへの改名まで(英語版
翌1958年2月6日、マッカートニーに紹介されたハリスンがクオリーメンと出会う。「ローンチー(英語版)」を完璧に弾きこなしたことと、2人よりも多くのコードを知っていたことでレノンに認められ、バンドに採用される[33]。1959年になると他のメンバーは次第に辞めていき、1月にはバンドのメンバーはレノン、マッカートニー、ハリスンの3人だけになる。
同年10月、バンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」(The Johnny and The Moondogs)とする。1960年1月、レノンに誘われたサトクリフがバンドに加入しベーシストになる[注釈 25]。同年4月、レノンとサトクリフが新たなバンド名にビートルズを提案するが、興行主のブライアン・キャスが改名を要請する。交渉してバンド名を「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」(The Long John and Silver Beetles)に改名する[注釈 26]。 1960年5月、ロンドンの音楽関係者であるラリー・バーンズが担当する新しいソロシンガー[注釈 27] のバックバンドを務めるオーディションに参加する。参加を約束していたドラマーが欠席したが、キャス&カサノヴァズのジョニー・ハッチンソン
ビートルズへの改名以後