1963年にチャック・ベリーの作品をアレンジした「サーフィン・U.S.A.」をヒットさせ、以後もフィル・スペクターやフォー・フレッシュメン(英語版)からの影響をもとに、エレキ・サウンドとコーラス・ワークを融合した楽曲を数多く発表した。60年代後半からの一時期には、音楽的リーダーであったブライアン・ウィルソンによる精緻で芸術志向の『ペット・サウンズ』のような作品も作り上げた。
日本では山下達郎や大瀧詠一、桑田佳祐[7]、音楽評論家の萩原健太、宮治淳一らが熱烈なファンとして知られている。萩原はラジオ番組で「ビーチ・ボーイズは『神』である」とまで公言している。浜田省吾とAIDO、鈴木雅之らもファンである。海外ではザ・ビートルズ、ファースト・クラス、ルベッツ(ルーベッツ)、トッド・ラングレン、ハイ・ラマズやルイ・フィリップ(フランス人)らがビーチ・ボーイズの影響を受けている。
音楽的なルーツは、ジャズ・コーラス、ロックンロールやホワイト・ドゥーワップにある。コーラスはフォー・フレッシュメンを参考にしている[8]。また、「サーフィン・U.S.A.」において、チャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」の歌詞や編曲の改変などをめぐり、著作権やロイヤリティの争議も起こった[9]。この曲[10]のメロディーは「スウィート・リトル・シックスティーン」とほぼ同じであり、そのことはビーチ・ボーイズ側も認めている。この件は、映画『ドリームガールズ』でも題材として象徴的に取り上げられている。
初期のウェストコースト・ロックにおけるポップな側面を代表するグループであり、アメリカン・ロック界では一部のミュージシャンがそのコーラス・ハーモニーの影響を受けている。
結成当時のオリジナルメンバー5名のうち、2名は故人となっているが、明確な解散宣言はしておらず、オリジナル・メンバーを含む数名がバンド名を引き継ぎ、公演を中心に活動を続けている。最盛期に多くのヒット曲を送り出した中心人物であるブライアンはソロ活動を行っている。メンバーの内、マイク・ラヴとブルース・ジョンストンは熱心な共和党支持者であり(人物と思想で詳述)、共和党大会に保守的なカントリー歌手らとともに出演したりしている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第12位。 バンド結成当時に流行していたサーフィン&ホットロッドと呼ばれる楽曲群は、単純なコード展開にギターソロを加えたインストゥルメンタルが中心だった。ここにロックンロールと異なる分野の音楽と思われていた、フォー・フレッシュメンなどを代表とするコーラスによるハーモニー、ファルセットを乗せたところにビーチボーイズの特徴があった。 初期の楽曲群はポップなロックンロールやポップスであり、当時の流行に沿ったものだった。しかし、ソングライターでもあるブライアン・ウィルソン自身がアルバムのプロデュースをおこなうようになって以降、一見シンプルに感じられる楽曲でも、実際には複雑なコードが使われ、アレンジにさまざまな工夫が施されるようになった。 例としてよく取り上げられるものに「カリフォルニア・ガールズ」のイントロ部分や、「神のみぞ知る」のベース音の処理、「グッド・ヴァイブレーション」におけるテルミンの導入、「キャロライン・ノー」の犬の鳴き声や、列車の踏み切り通過音などの効果音の使用がある。なお、ビーチ・ボーイズが利用していたテルミンは三次元の楽器ではなく、類似の音を出すElectro terminらしい[11]。これらの特徴は、ウィルソンが敬愛したフィル・スペクターの影響も見られるものの、独自性も存在した。「ペット・サウンズ」以降のビーチ・ボーイズは、ビートルズの67年アルバムとともに、60年代の実験的なロックの発展にも寄与した。 現在ザ・ビーチ・ボーイズとして音楽活動を行っている正規メンバーは以下の2名。ツアー・メンバーを加えて現在も公演を行っている。 メンバーとしてクレジットされているものの、現在ビーチ・ボーイズとしての活動には参加しておらず、別バンドで活動している。
音楽の特徴
メンバー
現在のメンバー
マイク・ラヴ(1941年3月15日 - ) - ボーカル
ブルース・ジョンストン(1942年6月27日 - ) - ボーカル、キーボード、ベース
不参加メンバー
ブライアン・ウィルソン(1942年6月20日 - ) - ボーカル、ベース、キーボード
アル・ジャーディン(1942年9月3日 - ) - ボーカル、ギター、ベース
デヴィッド・マークス
過去のメンバー
デニス・ウィルソン(1944年12月4日 - 1983年12月28日) - ボーカル、ドラムス、キーボード)1961?1983