ビーゴ_(スペイン)
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ビーゴには古くから人が住んでおり、市の中心部である丘の上にローマ人の集落が作られた。ビーゴの語源はラテン語の「Vicus」(「村」の意)から来ている。中世にはヴァイキングの襲撃に何度かみまわれた。中世のビーゴは近隣の村の一部であり、独立した村として文献に現れるのは15世紀になってからである。

1585年イングランドの海賊フランシス・ドレークがビーゴを襲い、一時的に占拠した後で建物を焼き払った。数十年後にはトルコの艦隊に襲われた。1656年フェリペ4世の時代に現在も一部が残っている市壁が作られた。この時代は、いくどもの襲撃にもかかわらず、ビーゴは初期の商業を発展させ、スペイン王から特権を与えられた。

スペイン継承戦争では、1702年ビーゴ湾の海戦が起きた。1719年、スペインの艦隊がスコットランド侵攻のためにビーゴを出発しようとしているとして、イギリスの艦隊に包囲された。

19世紀始めのスペイン独立戦争では、ビーゴは1809年1月までフランスの攻撃に耐え、ガリシアで最初に解放された都市となった。フランスから解放された3月28日は「レコンキスタの日」として祝われている。

19世紀から20世紀にかけてビーゴは急速に発展した。その結果、ガリシアのほかの都市に比べて市街は無秩序にできあがっている。
人口

ビーゴの人口推移 1900?2010

出典:INE(
スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[6]、1996年 - [7]

経済

ビーゴはガリシア州の工業の中心地であり、自動車工場や造船所がある。PSAプジョー・シトロエンの工場はガリシア州での雇用に貢献しており、2003年には47,300台の自動車が生産され、その88%がスペイン外に輸出された。

ビーゴにはヨーロッパ最大の漁港があり、漁業会社ペスカノバ(gl)の本拠地である。また、欧州連合のヨーロッパ漁業局(en)の本部が置かれる予定。

金融ではカイシャノバ(Caixanova、正式にはCaixa de Aforros de Vigo, Ourense e Pontevedra)の本店がある。
政治

自治体首長はガリシア社会主義者党(PSdeG-PSOE)のアベル・ラモン・カバジェーロ・アルバレス(Abel Ramon Caballero Alvarez)[8]、自治体評議員は、ガリシア国民党(PPdeG):13、ガリシア社会党:11、ガリシア民族主義ブロック(BNG):3、となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[9]
歴代市長

首長一覧(1979-)任期首長名政党
1979?1983マヌエル・ソト・フェレイロ(es
PSdeG
1983?1987マヌエル・ソト・フェレイロPSdeG
1987?1991マヌエル・ソト・フェレイロPSdeG
1991?1995カルロス・ゴンサーレス・プリンシペ(es)PSdeG
1995?1999マヌエル・ペレス・アルバレス(es)PPdeG
1999?2003ロイス・ペレス・カストリージョ(es)BNG-PSdeG
2003?2007ベントゥーラ・ペレス・マリーニョ(es、2003年12月まで)
コリーナ・ポーロ(es)PSdeG-BNG
PPdeG
2007?2011アベル・カバジェーロ(es)PSdeG-BNG
2011?2015アベル・カバジェーロPSdeG
2015?2019アベル・カバジェーロPSdeG
2019?n/dn/d

選挙結果

1999年6月13日自治体選挙[10]
政党得票数得票率獲得議席
PPdeG50,56536.71%11
BNG34,19224.83%8
PSdeG-PSOE32,31423.46%7
PROVI [11]7,9665.78%1
UGA[12]4,6053.34%0
EU-IU[13]2,1021.53%0
EDEG-OV[14]1,0730.78%0
PH[15]5650.41%0
その他[16]4860.35%0

首長当選者:ロイス・ペレス・カストリージョ(BNG)2003年5月25日自治体選挙[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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