1998年頃からは音楽事業からの資金を元手に不動産投資事業に参入、「ビープラネッツ」をはじめとした不動産子会社が大阪府大阪市西区北堀江周辺に30棟以上のビル・マンションを取得・保有し、hills パン工場の「THURSDAY LIVE」などによって北堀江を若者の街に変化させた[3]。この手法はそれ以前に東京の代官山町でも使っており代官山町の土地のほとんどを創業者である長戸大幸が所有していた時期があり、若手の新進気鋭のデザイナーらに次々と出店させ代官山を現在の資産価値ある土地へと成功させ長戸大幸は巨額の富を得た。
その後も関西地区での不動産事業を拡大させ、「オーク四ツ橋ビル」、「HORIE hills」(旧GIZA hills)、「ANNEX GIZA」、「ビーイング四ツ橋ビル」などビル・マンションを2021年までに約2500棟以上を取得[6]、2008年には大阪市福島区(ほたるまち)に多目的ホール堂島リバーフォーラムと高級賃貸マンションリバーレジデンス堂島を完成させた。
不動産のほとんどは貸しビル、高級デザイナーズ賃貸マンション、貸し事務所、駐車場などでグループ全体の収益の半数以上を不動産収入が占めている。不動産の多くは東京代官山一帯と大阪市の堀江・心斎橋一帯に集中しているが愛知県、長野県、岐阜県など全国に規模を拡大しているほかハワイ島、ニューヨーク、スイスなどの海外にも不動産を所有するなど、かつてはビーイング系と言えば大手の音楽プロダクションとしての認知度が高かったが2022年現在では「関西の不動産王」と呼ばれるまでに急成長をしている。
音楽事業、不動産事業、IT事業のほか飲食業やライブハウス、音楽養成スクール、損害保険代理業、デザイン会社、イベント会社、番組・映像制作会社、ローン会社、法務などの経営もしている。
沿革
1970年代
1977年、作曲家だった長戸大幸が妹尾隆一郎のマネージメントオフィスとして、ビック・ミュージックを設立。
1978年9月5日、スピニッヂ・パワーの「ポパイ・ザ・セーラマン」を月光恵亮らと制作。
1978年11月1日、長戸大幸が六本木に株式会社ビーイングを設立。
1979年4月1日、江崎秀一がデビュー。
1979年5月21日、長戸秀介、織田哲郎、北島健二のパーマネントグループ、WHYがデビュー。
1979年8月21日、キングレコード内に新レーベル BILL BOX を設立する。
1979年11月1日、ビーイング音楽振興会を設立。(後に沙里、稲葉浩志、上杉昇らを輩出)
1979年11月14日、株式会社ビック・インターナショナルを設立。(BEING GROUPのレコーディングスタジオ(後のStudio Birdman創設の為の会社)
1980年代
1981年7月1日、Studio Birdman/Brown Roomが完成。
1981年10月21日、Ading設立。Being Groupの宣伝広報部門として。
1981年11月30日、株式会社Treasury設立(Being Groupの財務・経理・法務部門として)。
1981年12月17日、LOUDNESSが浅草国際劇場でのデビューコンサートを成功させる。この出来事は当時スタジオ・ミュージシャン中心の小さなインペグ屋でしかなかったビーイングを躍進させる原動力となった[7]。
1983年半頃?、新宿 LIVE INN MURASAKIでライブハウスを展開。
1983年10月1日、Jawsman STUDIO完成。(リハーサルスタジオ)
1985年6月1日、TUBEが「ベストセラー・サマー」でデビュー(ハワイではこの日をTUBE DAYと定めている)。
1985年9月30日、Studio Birdman Gray Room完成。(レコーディングスタジオ)
1987年1月11日、YEAHブルース・セッション、目黒ライブステーションでスタート。
1987年3月1日、第1回 BADオーディション開催。(桜井ゆみ)Sound Jokerで開催。
1987年3月2日、株式会社ファースト・シーン設立(Being Groupの総合作家マネージメント・オフィスとして)。
1987年11月8日、YEAH BLUES SESSIONの集大成となるライブを渋谷公会堂で開催。
1987年11月15日、第2回 BADオーディション開催。(T-BOLAN、関ゆみ子)目黒ライブステーションで開催。
1988年9月5日、株式会社シーズ設立 (Being Groupの総合マネジメント・オフィスとして)。
1988年09月21日、B'zが「だからその手を離して」でデビュー。後に日本を代表するユニットとなった。
1989年01月22日、第3回 BADオーディション開催。(大黒摩季)五反田・スタジオ1009で開催。
1989年9月30日、T's STtudio完成 (二子玉川)
1990年代
1991年、Mi-Ke、ZARD、川島だりあ、T-BOLAN、WANDS等がデビュー。
ポリドールに専門レーベルb.gramを構える。
初の系列レコード会社ビージン(のちのZAIN RECORDS)を設立。
1992年、大黒摩季、TWINZER、MANISHがデビュー。
BMGビクターに構えていた3つの専門レーベル(Rhizome, ZEZ, DOG HOUSE)をBMGビクターと共同出資で法人化、系列レコード会社BMGルームス(のちのRooms RECORDS)を設立。
ビージンをZAIN RECORDSに社名変更。
1993年、DEEN、BAAD、REV、ZYYGがデビュー。
ポリドールに構えていた専門レ ーベルb.gramを法人化、系列レコード会社B-Gram RECORDSを設立。
1994年9月27日、株式会社ビープラネッツを設立[8]。
南青山に設立されたエムアールエムから、フリーペーパー『Music Freak Magazine』が創刊。
大阪に設立されたジェイロックマガジン社から『J-ROCK MAGAZINE』の創刊準備号が発刊。翌春、正式創刊。
大阪に設立した番組制作会社MODS HOUSEが、在阪テレビ局とラジオ局の深夜枠で音楽番組を次々に放送開始。
大阪(心斎橋)・京都(北山)・名古屋(栄)に、CDショップJEEZを開店。当初エントランスにビーイング系アーティストのポスターが飾られていたが、1990年代後半頃からヴィジュアル系に特化した店に転換。2000年以降京都・名古屋の店舗が閉店され、2003年に心斎橋店閉店により完全閉店。
大阪心斎橋に、クラブGrand Cafe(グランカフェ)[注釈 1]とロックバーROCKROCKを開店。
1995年、J-DISC(のちのJ-DISC Being)設立。これにより、グループ内のみで楽曲制作から流通までを構成できるようになった。
FIELD OF VIEW、BA-JI、PAMELAHがデビュー。
BMGルームスをRooms RECORDSに社名変更、完全に系列レコード会社となる(販売はBMGに委託)。
大阪心斎橋スパジオビル内に、レコーディングスタジオREDWAY STUDIOを設置。2001年頃に堀江へ移転。
大阪心斎橋に、BLUE-Z RECORDSとStyling RECORDSの2つのインディーズレーベルを設立。
1996年5月20日、ZAIN RECORDSに関西専門レーベルとしてWEST HAUSを設置。
1996年9月1日、Rooms RECORDSの販売権がBMGからJ-DISCに移管。
11月11日に佳苗がデビュー。
1997年、秋吉契里、小松未歩、七緒香、辻尾有紗がデビュー。
ZAIN RECORDSに関西専門レーベルとしてSpoonfulを設置、7月には関西拠点最初のメジャーレコード会社Amemura O-town Recordとして法人化[注釈 2]。
初の自社ビルとして森本六本木ビルを取得。これまで六本木界隈に点在していた関連会社を、同ビル内に集約化。
ライオンスペシャル 第17回全国高等学校クイズ選手権にライオンと共に協賛スポンサーとして参加。
1998年9月1日、B-Gram RECORDSが関西拠点のレコード会社として、株式会社ギザ(GIZA studio)設立。設立当初はインディーズレーベルであったが、1999年にメジャーレーベルとなった[9]。
9月2日に椎名祐海がメジャーデビュー。
ビーイング音楽振興会大阪校を開校。後に関西クリエイターズ学院→GIZAミュージックスクールに改称。
大阪北堀江にART CUBEビルが落成。レコーディングスタジオやリハーサルスタジオ以外に、ビーイング音楽振興会大阪校やZAIN RECORDS大阪などの関連会社が入居。
1999年、倉木麻衣、rumania montevideo、WAG、4D-JAM、sweet velvet、New Cinema 蜥蜴、GRASS ARCADEがメジャーデビュー。
2000年代