ビル・ブルーフォード
[Wikipedia|▼Menu]
彼はアルバム1枚でU.K.を脱退し、翌1979年にホールズワースや元ナショナル・ヘルスデイヴ・スチュワートとともにブルーフォードを結成した。しかしホールズワースはアルバム『ワン・オヴ・ア・カインド』発表後のツアーが終わると脱退。新しいギタリストのジョン・クラーク[要曖昧さ回避]を迎えて1枚のスタジオ録音アルバムとライブ・アルバムを発表するものの、経済的に行き詰まって1980年に活動を停止した。
キング・クリムゾン再結成 - イエス再結成
1981年に、再結成されたキング・クリムゾンに参加。最先端のエレクトリック・ドラム「シモンズ」を使ったポリリズムが話題となった。キング・クリムゾンが3枚のアルバムを発表後に再び活動停止状態に入ると、ジャズ・ロックの分野での活動にシフト。元イエスのパトリック・モラーツとのデュオは話題となり、渡辺貞夫がプロデュースするジャズ・イベントで来日公演を行った。1986年にジャズ・バンドのアースワークスを結成。当時の最先端楽器だったエレクトリック・ドラムをジャズでも自在に操る奏者として名を馳せた。これと並行して1989年には、実質的にイエスの再結成であるアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウに参加し、1991年にはイエスの再々結成ツアーに参加したが、短期間で再び脱退。1994年には、ダブル・トリオに再編成されたキング・クリムゾンに復帰した。アコースティックドラムへの回帰を志向するブルーフォードに対し、パット・マステロットと同様にローランド製のエレクトリックドラム「V-Drums」の使用を求めるロバート・フリップとの見解の相違から、1997年に脱退。以降、Bill Bruford's Earthworksや、ブルーフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズなど自分中心のプロジェクトで活動していった。
ソロ・プロジェクト
ブルーフォードはかつてプログレッシブ・ロックの三大バンドに在籍し、自分のプロジェクトでもプログレッシブ・ロックのミュージシャンを多数起用して、彼抜きにプログレッシブ・ロックは語れないと言われるほどの存在感を示した。しかし、1997年にキング・クリムゾンを脱退した後は、ロックミュージックからは距離を置いた活動に重きを置いており、コンテンポラリージャズのバンドであるBill Bruford's Earthworks[注釈 5]のリーダーとして精力的に活動している。また、渡辺香津美の『スパイス・オブ・ライフ』と続編の『スパイス・オブ・ライフ2』のレコーディング及びツアーに、ジェフ・バーリンと共に参加し[注釈 6]バディ・リッチ・ビッグ・バンドのトリビュート企画に参加するなど、ジャズ・フュージョン分野での活動も行っている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}意外なところでは[独自研究?]久石譲のアルバム『地上の楽園』、井上鑑のアルバム『TOKYO INSTALLATION』及び、井上がサウンドプロデュースを担当した杏里の『TROUBLE IN PARADISE』などのアルバムにも参加している。
ライブ活動引退 - 現在
2009年、還暦を過ぎたことからライブ活動からの引退を表明。マネージメントを全て自分で行なう[注釈 7]主義のため、負担が大きいライブ活動は還暦までと考えていたという。一方、レコーディングなどのスタジオ活動は継続する[6]2012年、自伝の日本語版のプロモーションで来日[7]2017年、ブルーフォード時代のキャリアを包括したBOXセットをリリース[8]。イエスのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした[9]
イエスに加入した時期について

2011年6月に彼がオフィシャル・サイトに掲載した情報によると、イエスは前身バンドのメイベル・グリアーズ・トイショップが改名して誕生したもので、初代のドラマーはメイベル・グリアーズ・トイショップのボブ・ハガー(Bob Hagger)だった。ジョン・アンダーソン、クリス・スクワイア、ピーター・バンクス、ハガーの4人が並んで寝そべっている写真も公開された。

2009年に発表された自伝には、メロディ・メーカーに掲載された広告がきっかけになってアンダーソンとスクワイアに出会い、1968年7月から9月の間いつも一緒にいたと記述されている。彼とイエス[注釈 8]はロンドンのザ・ラッキー・ホースシューというコーヒー・バーの地下室でリハーサルを行った後、いくつかの小さなライブを行なって成果を出しつつあったが、彼はリーズ大学の学籍をどうするか悩んだ挙句、学業を選んで10月に離脱した。そこでイエスはTony O'Reillyをドラマーに迎えたが、あまりに酷い演奏だったため、ロイヤル・アルバート・ホールで行われたクリームの解散コンサートの前座での演奏に彼を招聘。これがきっかけとなりイエスに加入した[10]
機材愛用の『TAMA』製ドラムセット (2004年)

彼のドラムセットは参加するバンドやプロジェクトによって大きく異なる。ホームページではドラムセットの構成が時代別に図を用いて解説されている[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:83 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef