ビヨンセ
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なお、婚約をした日はジェイ・Zの誕生日だった[19]
2008年-2009年:I Am...Sasha Fierce[ソースを編集]

2008年11月、3rdアルバム『アイ・アム…サーシャ・フィアース』 (I Am... Sasha Fierce) をリリース。このアルバムは初の2枚組アルバムで、自身をより深く素直に表現した静的な「I Am」サイドと、情熱的でセクシーなステージ上のビヨンセを表現した「Sasha Fiears」サイド(もう一人の別人格の自分で、サーシャという名は従姉妹・アンジーから名付けられた)で構成されている。それぞれのサイドから先行シングルとして「イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ」(If I Were A Boy)、「シングル・レディース」(Single Ladies) の対照的な2曲がリリースされた。これまでのビヨンセになかったスローテンポで静観的な趣の「イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ」は、日本の音楽番組『ミュージックステーション』で世界初披露された。アップテンポの「シングル・レディース」は、ビルボードチャートで4週1位を獲得する大ヒットとなった。「I Am... World Tour」のオープニング(2009年)

2009年1月に行われた、バラク・オバマ大統領就任パーティーでは、オバマが楽屋裏で、「シングル・レディース」の片手をヒラヒラさせるダンスの振り付けを披露し、その映像がネット上でも話題となった。オバマは、次女の名前が「Sasha」であることから、ビヨンセに関心があったと絶賛した。このパーティーでは、映画『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』 (Cadillac Records) からの楽曲「アット・ラスト」 (At Last) もビヨンセは披露し、チークダンスのテーマ曲としてパフォーマンスをした。シングル「アット・ラスト」はサウンドトラック『キャデラック・レコード』(Cadillac Records: Music from the Motion Picture) に収録されている。

2009年2月、『アイ・アム...サーシャ・フィアース』からの次のシングルとして「ヘイロー」(Halo)、「ディーヴァ」(Diva) をそれぞれリリース。「ヘイロー」は、発売当初は爆発的なヒットに至らなかったが、ビヨンセのこれまでのキャリアにおいて最も長くビルボード・ホット100内にキープされた楽曲となった。また、「ヘイロー」はのちに歌詞を少し変えて、マイケル・ジャクソンへのトリビュートとして歌われたりする楽曲となった。4月には、自身主演で製作総指揮も兼任したサスペンス映画『オブセッション 歪んだ愛の果て』(Obsessed) も全米で公開された。

その後も『アイ・アム...サーシャ・フィアース』から、「エゴ」(Ego)、「ブロークン・ハーテッド・ガール」(Broken-Hearted Girl) もシングルカットされた。「エゴ」はカニエ・ウェストをフィーチャーしたリミックスも発売された。6月には、「スウィート・ドリームス」(Sweet Dreams) をリリースし、日本で本人出演のクリスタルガイザーのCMソングになった。この楽曲はアルバムリリース前に、自身のウェブサイトにて「Beautiful Nightmare」のタイトルで“新曲”として発表していたトラックだった。「I Am... World Tour」で生ラップを披露するジェイ・Z

3月から始まった4回目のソロツアーであり、2度目の大規模なワールドツアー「アイ・アム...ワールド・ツアー」(I Am... World Tour) は、北アメリカヨーロッパアジアオーストラリア中東南アメリカを凱旋し、翌年2010年2月までに計108公演が行われた。頭の「クレイジー・イン・ラブ」(Crazy In Love) のパフォーマンスでは、数ヴァースのラップのためにジェイ・Zが一曲目から生登場したり、ライブ中盤ではサーカスのようにワイヤーリフトで宙吊りになってくるくる回転しながら観客により近い真中の第2ステージに移動しパフォーマンスをするなど豪華なステージングとなった。ティエリー・ミュグレーによる70着以上のコスチュームも話題となり、ビルボード誌のコンサート興行収入ランキングでも1位を獲得するなど過去最大級の成功を収めた。この世界各国のライブ映像をまとめたDVD『アイ・アム...ワールド・ツアー』(I Am... World Tour) に収録され12月にリリースされた。

さらに、このワールドツアーの合間に、8月にはサマーソニック'09のヘッドライナーとして日本に再来日し、10月には神戸大阪名古屋などで5公演の単独来日ツアーを行なった[注釈 2]。この単独公演は、「アイ・アム...ワールド・ツアー」とは、全く別に練られたステージングとプロダクションで行われた。

6月25日のマイケル・ジャクソンの急逝に際しては、「人生とは、何回呼吸をするかではなく、何度息をのむほどの瞬間があるかどうかだと思うの。彼のアートを見て、感じて、聴いた人はみんな、この時代に生きていること、マイケルのマジックを経験することができたことを、光栄に思うでしょう。愛しているわ、マイケル」という哀悼の言葉を自身のウェブサイトで発表した[22]
2010年-2012年:4、出産[ソースを編集]

ワールドツアー「アイ・アム...ワールド・ツアー」(I Am... World Tour) 敢行途中で発表された第52回グラミー賞で本年度最多10部門でのノミネーションを記録し、ローリン・ヒルと並ぶ、最多ノミネートのタイ記録となった。1月31日の授賞式でも、アルバム『アイ・アム...サーシャ・フィアース』(I Am... Sasha Fierce) が年間最優秀アルバム賞、シングル「ヘイロー」(Halo) は年間最優秀レコード賞、「シングル・レディース」(Single Ladies) が年間最優秀楽曲賞など、本年度最多6部門を受賞し、女性アーティストでは史上最多受賞となり、歴代でも獲得数3位タイという偉業を成し遂げた。なお、年間最優秀楽曲賞はビヨンセにとって初めての獲得だった。

また、ビヨンセがフィーチャリングアーティストとして参加したレディー・ガガのシングル「テレフォン」(Telephone) が1月にリリース。ビヨンセはプロモーションビデオにも出演した。「テレフォン」は3月15日、ビルボードのポップソングチャートにおいて1位を獲得した。これにより、フィーチャーされたビヨンセは6曲の全米1位シングルを持つことになった。「4 Intimate Nights with Beyonce」ライブでのビヨンセ(2011年8月)

1月下旬、母の助言を聞き入れ、ブレイクを発表。おもな芸能活動を休止して約9か月の休暇をとった。この間にこれまでビヨンセの全マネージメントを務めていた父親・マシュー・ノウルズから独立することを決意する。父とビジネス上の袂を分かち、以後、夫・ジェイ・Zと二人三脚で全マネージメントをすることになった[23][16]。これは、初めて身ごもった子を流産したことや、これまでビジネス一辺倒だけの関係であった父との関係を変え、私生活における家族としての「父と娘」の繋がりを保つため、父親から独立しなければいけないと考えたためだったとビヨンセはのちに述べている[16]

この父親との「ビジネス上での決別」は休暇中の3月、公に正式発表された。なお、2009年後半に父マシューの不倫隠し子が発覚し、母ティナが離婚を申し入れ調停となっていた(のちに両親の離婚成立)[15]。また、イギリス王室から要請されていた4月のウィリアム王子の結婚披露宴でのパフォーマンスも、夫・ジェイ・Zの甥の大学の卒業式に参加するためという理由で辞退した[12]

6月、4thアルバム『4』 (4) を発表。ビルボード・ホット200チャートで初登場1位となり、史上3人目となるデビューからアルバム4作連続首位を達成した。しかし先行シングル「ラン・ザ・ワールド」(Run the World (Girls) ) のセールスは思ったほど伸びず、「シングル・レディース」のような大ブームにならなかった。「ラン・ザ・ワールド」のミュージック・ビデオは、フランシス・ローレンスが監督し、モハーヴェ砂漠で200人を超えるダンサーが参加し3日間撮影され、それまでのビヨンセにとって最大規模の大作だった。起用された8人の振付師の中には、ビヨンセが「YouTube」でパフォーマンスを見初めて連絡を取ったモザンビークのダンス・チーム「Tofo Tofo」の二人がいたが、彼らはビヨンセの存在を知らなかったというエピソードがある[12]。また、この頃からビヨンセのバック・ダンサーに双子フランス人男性ダンサー「Les Twins」が参加しはじめた。


アルバム『4』からは他に「ベスト・シング・アイ・ネヴァー・ハド」(Best Thing I Never Had)、「パーティー」(Party)、「ラブ・オン・トップ」(Love on Top)、「カウントダウン」(Countdown) などのポップ・ナンバーが次々とシングルカットされてヒットした。なお、アルバムタイトルの『4』の由来についてビヨンセは、「4」という数字は、自身の誕生日(9月4日)、母の誕生日(1月4日)、夫の誕生日(12月4日)など、自分にとって特別な数字だからだとし、そのため結婚式も4月4日にしたとビルボード誌で語っている[24][12]

2011年8月中旬にニューヨークで4日行われたレジデンシー・ショウ「4 インティメイト・ナイツ・ウィズ・ビヨンセ」(4 Intimate Nights with Beyonce) は、収容人数がわずか2,500人の「ローズランド・ボールルーム」(Roseland Ballroom) でのライブだったが、4公演約1万枚のチケットが22秒で完売する記録になった。


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