夏の終わりにかけて、ダンスホールレゲエ歌手のショーン・ポールをフィーチャーした2枚目のシングル「ベイビー・ボーイ」(Baby Boy) もヒットチャートに浮上し、2003年の大ヒット曲の1つになった。秋はラジオでもヘヴィー・ローテーションされ、「クレイジー・イン・ラブ」より1週長い9週連続1位を記録した。この曲はビヨンセ曰く「アラビック・レゲエ」で、衣装もアラブ調で披露されることがある。「ベイビー・ボーイ」の成功からまもなく、3枚目のシングル「ミー、マイセルフ・アンド・アイ」(Me, Myself and I)、続いて翌年には、4枚目のシングル「ノーティ・ガール」(Naughty Girl) をリリース。両曲は、ビルボード・ホット100でそれぞれ最高4位と最高3位を記録した。
5枚目のシングルは、ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイの楽曲を元にした、ルーサー・ヴァンドロスとのデュエット「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」(The Closer I Get to You) で、ヴァンドロスがフラックのパートを歌い、ビヨンセはハサウェイのパートを歌っている。この楽曲はヴァンドロスのアルバム『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』(Dance With My Father) にも収録され、第46回グラミー賞ベストR&Bパフォーマンス賞のDuo or Group with Vocals部門を共有した。この他にも、2004年の授賞式でビヨンセは、ソロ活動でベスト女性R&Bボーカルパフォーマンス賞、ベストコンテンポラリーR&Bアルバム賞を含む5部門のグラミー賞を受賞した。
このアルバムの大成功により、2003年11月に初のソロツアー「デンジャラスリィ・イン・ラブ・ツアー」(Dangerously in Love Tour) を行い、イギリス、アイルランド、オランダの3か国を廻った。11月10日のロンドンのウェンブリー・アリーナでのコンサートの模様は、翌年2004年のライブアルバム『ライヴ・アット・ウェンブリー』(Live at Wembley) に収録された。
2004年の第38回スーパーボウルでは、アメリカ国歌「星条旗」を熱唱した。プレーショウの出演者の中で唯一の黒人女性のビヨンセはABCのインタビューで、アメリカの黒人女性はいまだに白人女性以上に努力しないと成功できないと語り、メイクやスタイリストなどステージに必要なものは全て自分で用意しなければならなかったこと、リハーサル回数が他のアーティストよりも多く、自分の実力が何かを証明しなければならない気持ちになったが、細かいことはその場で口を挟まなかったことなどを語った[15]。この問題はのちの2008年に再燃して、ある雑誌がビヨンセの写真を露骨に加工し、肌の色を明るい小麦色にしたことで、論争が巻き起こった[15]。
2005-2007年:B'DAY「The Beyonce Experience」ツアーでのビヨンセ(2007年5月)
2005年4月から、日本の広島公演を皮切りに行われたデスティニーズ・チャイルドのワールドツアー「デスティニー・フルフィルド…アンド・ラビィン・イット」(Destiny Fulfilled... and Lovin' It ) 中の6月11日、スペインバルセロナでのライブ中、突然グループ解散を発表。9月10日のカナダバンクーバーでデスティニーズ・チャイルドとしての最終公演を行なった。また、9月にリリースされたルーサー・ヴァンドロスへのトリビュートアルバム『ソー・アメイジング?オールスター・トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス』(So Amazing: An All-Star Tribute to Luther Vandross) において、スティーヴィー・ワンダーと「ソー・アメイジング」(So Amazing) をデュエットした。
12月には、ラッパーのスリム・サグをフィーチャーしたニューシングル「チェック・オン・イット」(Check On It) をリリース。この楽曲は、ビヨンセがザニア役としてクルーゾー警部役のスティーヴ・マーティンと共演し、2006年2月に公開された映画『ピンクパンサー』(The Pink Panther) の主題歌で、デスティニーズ・チャイルドのアルバム『ナンバーワンズ』(#1's) と、映画『ピンクパンサー』サウンドトラックに収録された。
2006年9月4日、25歳の誕生日であるこの日に2ndアルバム『ビー・デイ』(B'Day) をリリース。日米同時発売で、当日は日本武道館でバースデーライブ「HAPPY B'DAY PARTY」が開催され、アルバム曲を世界初披露するなど、世界的に配信されるメモリアルライブとなった。アルバムからは、先行シングル「デ・ジャ・ヴ feat. Jay-Z」(Deja vu)、「リング・ジ・アラーム」(Ring The Alarm) (アメリカのみ先行)がヒットした。12月には、同名ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した『ドリームガールズ』に主演。サウンドトラックもビルボード・ホット200で1位を記録し、シングルカットされた「リッスン」(Listen) もヒットした。
また同じく12月には、アルバム『ビー・デイ』からの3枚目のシングル「イレプレイスブル」(Irreplaceable) が、2007年1月に跨いで10週連続1位を記録。これまでのソロキャリアで最も多く1位にランクインした楽曲となり、2007年ビルボードチャート・シングル部門で年間1位を記録した。この楽曲はオーストラリア、ハンガリー、アイルランド、ニュージーランドでも1位になるなど、世界的にもヒットした。「The Beyonce Experience」ツアーで「Speechless」を歌うビヨンセ
また、「アップグレイド・ユー」(Upgrade U)、翌年2007年リリースの「ゲット・ミー・ボディード」(Get Me Bodied)、イギリス圏のみリリースの「グリーンライト」(Green Light) などヒットし、アルバム『ビー・デイ』(B'Day) は第49回グラミー賞で4部門のノミネートを受け、最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞を受賞した。また、シャキーラとのデュエットシングル「ビューティフル・ライアー?華麗なる反撃」(Beautiful Liar) も新曲として発表。この楽曲や「リッスン」、新曲「ウェルカム・トウ・ハリウッド」(Welcome to Hollywood)など5曲をさらに加えた『ビー・デイ』の豪華版 (Deluxe Edition) も再発売された。
さらに2007年4月10日からは、約8か月半にわたる初の大規模なワールドツアー「ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス」 (The Beyonce Experience) を日本の東京ドームからスタートさせた[注釈 1]。このツアーはオーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカ、アフリカを凱旋し、計96公演となった。このライブを日本から始めた理由についてビヨンセは、日本が大好きな国で、25歳の誕生日を祝ってもらったり、本当に素晴らしいところで世界一最高のファンがいてくれるからだと述べ、日本からツアーを始めることでいいバイヴやエネルギーをもらえると語った[18]。
この初のワールドツアーのバックバンド10名は全員女性で、日本人ピアニストの辻利恵もメンバーとして参加した。この専属バンド「シュガ・ママ」 (Suga Mama) のミュージシャンたちは、オーディションで集められ、「イレプレイスブル」のPVから初披露されていたメンバー。ツアーには、「ザ・ママス」 (The Mamas) と名付けられた3人組の黒人女性がバックヴォーカルとして参加した。ライブではバンド・メンバーがそれぞれソロパートを披露し、ビヨンセは8着の衣装を変えた。10月にはこのライブ映像を収録したリミックスCD+ライブDVD『B'DAY?ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス・ライヴ』 (The Beyonce Experience Live) がリリースされた。
2008年4月4日、長年の恋人といわれていたジェイ・Zと極秘結婚。友人や親族のみの結婚式を行うが、マスコミなどには結婚について詳細を一切語っていなかった。結婚指輪の下には「4」の数字「IV」のタトゥーを入れた[12]。なお、婚約をした日はジェイ・Zの誕生日だった[19]。 2008年11月、3rdアルバム『アイ・アム…サーシャ・フィアース』 (I Am... Sasha Fierce
2008年-2009年:I Am...Sasha Fierce