ビヨンセ
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「ハウス・オブ・デレオン」が掲げる3つのテーマは、「クチュール」「ソウル」「エキサイトメント」[15]。設立に先駆け、デスティニーズ・チャイルドのワールドツアー中の9月9日、ファッション・ロックス・コンサートで実際に服を何着か着て披露した。このファッションは、メイシーズ(アメリカ)などの有名百貨店で入手可能。また、日本のジュエリーメーカーサマンサ・タバサと契約し、バッグやジュエリーのプロデュースに参加したり、ビヨンセ自身が製造過程に関わっているフレグランスのブランド「Beyonce」から、「HEAT」「PULSE」「HEAT RUSH」「MIDNIGHT HEAT」「RISE」などの香水も発売している。
人物・私生活ビヨンセの左側は母・ティナ(2010年3月)

愛称の“Queen Bey”は“Queen Bee”と同発音。そのためライブでは蜜蜂女王蜂のコスチュームを身につけることがよくある。また、アレルギーを持つ娘の治癒効果にハチミツが有効であることから、自宅で養蜂も営んでいる[39]

ヘアスタイルやヘアカラーを頻繁に変え、ロレアルのヘアカラーリング商品のテレビコマーシャルにも出演した。本人の地毛は黒人特有の黒いカーリーヘアであり、CM出演時も含めウィッグを愛用し、ブロンドがかったウェーブの髪型にしていることが多い。

ビヨンセがマイケル・ジャクソンを目標にしていることは有名である。デスティニーズ・チャイルド時代のライブで、マイケル・ジャクソンが自分たちの舞台のそでに立って見ているのを発見した時には、興奮のあまりその場で倒れそうになって歌詞をすっかり忘れてしまい、他の二人が穴埋めしたというエピソードがある[15]2007年5月

ビヨンセのワールドツアーにピアニストとして参加した唯一の日本人である辻利恵は、ビヨンセはメンバーそれぞれにソロパートを設けてくれるなど、バンド思いの人で、さらに裏表がない性格で、非常に優しい人物であると述べている[40]

ステージでのパフォーマンスのイメージと実際のビヨンセは大きくかけ離れ、そのギャップに驚く人々が多いという[15]。ビヨンセ自身も、ステージ上での挑発的でグラマラスな人格を「サーシャ・フィアース」(もう一人の自分。サーシャという名は従姉妹のアンジーが名付けた)と呼び、現実の世界の自分はもっと傷つきやすい人間だと再三語っている[15]。ステージ上で自分がまったくの別人に生まれ変わることに気づいたのは、少女時代に初めて出場した学校主催のタレント・ショーだったという[15]。ステージに立つとビヨンセは無意識に「サーシャ」に変身し、ステージで何をしたのか後で覚えていないこともたびたびあり、高価なブレスレットを観客に向かって投げたことを覚えておらず、アシスタントのアンジーが慌ててそれを回収しに走らなければならなかったこともあったという[15]

また、ワールドツアー「ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス」(The Beyonce Experience) のフロリダ州オーランド公演の際(7月24日)、衣装のロングコートの裾にハイヒールのヒールを引っかけ、「リング・ジ・アラーム」(Ring The Alarm) のイントロで10数段の階段を頭から転げ落ちたハプニングがあった。その時も顎を打ち本気で痛かったが、とにかくとっとと立ち上がらなければと思い、その後すぐにガンガン髪を振り乱して、自分でもなんだったのか分からない状態で、びっくりしすぎて逆にハードにやっちゃえという感じだったと述べ、そういう失敗があると自分に腹が立って余計パフォーマンスに力が入るとCNNのインタビューにビヨンセは答えている[41]

対面取材した記者によると、ステージ裏の素顔のビヨンセは礼儀正しく控え目な印象であるという[23]。しかし、プライベートでは夫への積極的な愛情表現はやはり情熱的であるところが垣間見え[23][16]、また、祖母から母、自分に繋がる祈りの心や、何度も「」の存在を口にして、「自分を超えたところにある神の意志」に自らを委ねようとする敬虔さを持つなど[16]、一般的に想像するよりも保守的で女性らしい面がある[23][16]

妹のソランジュ (Solange Knowles) はデスティニーズ・チャイルドのバックダンサーを務めるなどしていたが、2004年にアルバム『ソロスター』(Solo Star) でデビュー直後、デスティニーズ・チャイルドに加入するとの噂も流れたが、結局メンバーになることはなく、アメリカンフットボール選手のダニエル・スミス(Daniel Smith) との子を妊娠し、結婚する(後に離婚)。ソランジュの息子・ジュールズ(甥)をビヨンセは可愛がっていて、第52回グラミー賞の授賞式にも帯同したり、2010年の約9か月間の活動休止の充電期間中も一緒にフロリダ州ディズニーランドへ行くなど行動を共にしていた[12][23]

好きな花については、香りだったらクチナシが好きだが、美しさに関してはが一番好きだと言い、自身の結婚式には10万本のデンドロビウムを用意した[15]

ビヨンセ一家は「ポップス界のロイヤルファミリー」「黒人社会のロイヤルファミリー」と形容される[42]
論争バルセロナでの「The Beyonce Experience Tour」

2003年7月4日にテレビ放送されたアメリカ独立記念日祝典で披露した「クレイジー・イン・ラブ」のパフォーマンスが論争を巻き起こす。ビヨンセがユリシーズ・S・グラント大統領の墓地の階段でふさわしくないダンスをしたとグラント・モニュメント協会は非難し、関係者に書状を送った。これに対し、グラント大統領のひ孫にあたるチャップマン・フォスター・グラントは「いまの世の中、あの方法で誰が気にかける? だれが分かるか? 年寄りが生きていたら、楽しんだかもしれない」とコメントした[43][44]

また、同年終わり頃に、ビヨンセは著作権侵害容疑でシンガーソングライターのジェニファー・アーマーという若い少女から告訴された。ジェニファーは楽曲をビヨンセのレーベルに送ったが、許可なく使用された、また2003年にヒットしたビヨンセのシングル「ベイビー・ボーイ」が自身の曲「Got a Little Bit of Love for You」の歌詞に似ていると主張。2006年10月頃、ヒューストン連邦裁判所は2つの曲が「ほとんど異なる」と原告側の訴えを全面的に却下する判決を下し、ビヨンセは無罪となった。ビヨンセは「今回のような訴訟が起きたことは残念だが、無罪となって安心したし、早く次に進みたい」とコメントを発表した[45]

2007年6月9日に、ダブリンアイルランド)でのコンサート中、ステージ上で煙草を深く吸って吐き出す仕草の真似をした後、「最高ね」とつぶやくパフォーマンスをした。これに対し、アイルランド協会から「若者の間で影響力のあるビヨンセが、喫煙を魅力的なものとして推奨していることに対して腹立たしく、遺憾に思う。ビヨンセや彼女と同等の立場にある歌手には、自分たちの行動が将来ある若者に及ぼす甚大な影響について真剣に考えていただきたい」と抗議された[46]

彼女はよく公の場で毛皮製品を身に付けていたため、度々PETAから名指しで非難されていた[47]。同団体を支持する歌手のピンクからも「(毛皮を着ることを)問題ないとか、かっこいいって思ってるかもしれないけど、大間違い。何の毛皮を着てるのか知らないけど、ビヨンセがその動物から襲われればいいのにと思う」と非難されたこともあった[48]。毛皮とは別件で、ビヨンセが飼っているペットのシーズー犬を放置しているという噂が流れたときには同団体に調査されるなど決して仲は良好ではなかったが、2007年頃からビヨンセが毛皮を身に付けなくなったため、PETAとの関係は改善しつつある[49]
記録2009年度MTV Video Musicにて

アメリカ・イギリスで同時にアルバム・シングルともに1位を記録した、初の女性アーティスト。

アフリカ系アメリカ人女性として初のASCAP Pop Awards Songwriter of the Year (2001)を受賞[50]

2003年に最もセールスを記録した女性R&Bアーティスト。

2005年にアカデミー賞のベスト・オリジナル・ソング賞にノミネートされた5曲のうち、3曲をビヨンセが授賞式で歌った。


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