ビヨンセ
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12月には、ラッパースリム・サグをフィーチャーしたニューシングル「チェック・オン・イット」(Check On It) をリリース。この楽曲は、ビヨンセがザニア役としてクルーゾー警部役のスティーヴ・マーティンと共演し、2006年2月に公開された映画『ピンクパンサー』(The Pink Panther) の主題歌で、デスティニーズ・チャイルドのアルバム『ナンバーワンズ』(#1's) と、映画『ピンクパンサー』サウンドトラックに収録された。

2006年9月4日、25歳の誕生日であるこの日に2ndアルバム『ビー・デイ』(B'Day) をリリース。日米同時発売で、当日は日本武道館でバースデーライブ「HAPPY B'DAY PARTY」が開催され、アルバム曲を世界初披露するなど、世界的に配信されるメモリアルライブとなった。アルバムからは、先行シングル「デ・ジャ・ヴ feat. Jay-Z」(Deja vu)、「リング・ジ・アラーム」(Ring The Alarm) (アメリカのみ先行)がヒットした。12月には、同名ブロードウェイミュージカルを映画化した『ドリームガールズ』に主演。サウンドトラックもビルボード・ホット200で1位を記録し、シングルカットされた「リッスン」(Listen) もヒットした。

また同じく12月には、アルバム『ビー・デイ』からの3枚目のシングル「イレプレイスブル」(Irreplaceable) が、2007年1月に跨いで10週連続1位を記録。これまでのソロキャリアで最も多く1位にランクインした楽曲となり、2007年ビルボードチャート・シングル部門で年間1位を記録した。この楽曲はオーストラリアハンガリーアイルランドニュージーランドでも1位になるなど、世界的にもヒットした。「The Beyonce Experience」ツアーで「Speechless」を歌うビヨンセ

また、「アップグレイド・ユー」(Upgrade U)、翌年2007年リリースの「ゲット・ミー・ボディード」(Get Me Bodied)、イギリス圏のみリリースの「グリーンライト」(Green Light) などヒットし、アルバム『ビー・デイ』(B'Day) は第49回グラミー賞で4部門のノミネートを受け、最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞を受賞した。また、シャキーラとのデュエットシングル「ビューティフル・ライアー?華麗なる反撃」(Beautiful Liar) も新曲として発表。この楽曲や「リッスン」、新曲「ウェルカム・トウ・ハリウッド」(Welcome to Hollywood)など5曲をさらに加えた『ビー・デイ』の豪華版 (Deluxe Edition) も再発売された。

さらに2007年4月10日からは、約8か月半にわたる初の大規模なワールドツアー「ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス」 (The Beyonce Experience) を日本の東京ドームからスタートさせた[注釈 1]。このツアーはオーストラリアヨーロッパ北アメリカアフリカを凱旋し、計96公演となった。このライブを日本から始めた理由についてビヨンセは、日本が大好きな国で、25歳の誕生日を祝ってもらったり、本当に素晴らしいところで世界一最高のファンがいてくれるからだと述べ、日本からツアーを始めることでいいバイヴやエネルギーをもらえると語った[18]

この初のワールドツアーのバックバンド10名は全員女性で、日本人ピアニスト辻利恵もメンバーとして参加した。この専属バンド「シュガ・ママ」 (Suga Mama) のミュージシャンたちは、オーディションで集められ、「イレプレイスブル」のPVから初披露されていたメンバー。ツアーには、「ザ・ママス」 (The Mamas) と名付けられた3人組の黒人女性がバックヴォーカルとして参加した。ライブではバンド・メンバーがそれぞれソロパートを披露し、ビヨンセは8着の衣装を変えた。10月にはこのライブ映像を収録したリミックスCD+ライブDVD『B'DAY?ザ・ビヨンセ・エクスペリエンス・ライヴ』 (The Beyonce Experience Live) がリリースされた。

2008年4月4日、長年の恋人といわれていたジェイ・Zと極秘結婚。友人や親族のみの結婚式を行うが、マスコミなどには結婚について詳細を一切語っていなかった。結婚指輪の下には「4」の数字「IV」のタトゥーを入れた[12]。なお、婚約をした日はジェイ・Zの誕生日だった[19]
2008年-2009年:I Am...Sasha Fierce

2008年11月、3rdアルバム『アイ・アム…サーシャ・フィアース』 (I Am... Sasha Fierce) をリリース。このアルバムは初の2枚組アルバムで、自身をより深く素直に表現した静的な「I Am」サイドと、情熱的でセクシーなステージ上のビヨンセを表現した「Sasha Fiears」サイド(もう一人の別人格の自分で、サーシャという名は従姉妹・アンジーから名付けられた)で構成されている。それぞれのサイドから先行シングルとして「イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ」(If I Were A Boy)、「シングル・レディース」(Single Ladies) の対照的な2曲がリリースされた。これまでのビヨンセになかったスローテンポで静観的な趣の「イフ・アイ・ワー・ア・ボーイ」は、日本の音楽番組『ミュージックステーション』で世界初披露された。アップテンポの「シングル・レディース」は、ビルボードチャートで4週1位を獲得する大ヒットとなった。「I Am... World Tour」のオープニング(2009年)

2009年1月に行われた、バラク・オバマ大統領就任パーティーでは、オバマが楽屋裏で、「シングル・レディース」の片手をヒラヒラさせるダンスの振り付けを披露し、その映像がネット上でも話題となった。オバマは、次女の名前が「Sasha」であることから、ビヨンセに関心があったと絶賛した。このパーティーでは、映画『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』 (Cadillac Records) からの楽曲「アット・ラスト」 (At Last) もビヨンセは披露し、チークダンスのテーマ曲としてパフォーマンスをした。シングル「アット・ラスト」はサウンドトラック『キャデラック・レコード』(Cadillac Records: Music from the Motion Picture) に収録されている。

2009年2月、『アイ・アム...サーシャ・フィアース』からの次のシングルとして「ヘイロー」(Halo)、「ディーヴァ」(Diva) をそれぞれリリース。「ヘイロー」は、発売当初は爆発的なヒットに至らなかったが、ビヨンセのこれまでのキャリアにおいて最も長くビルボード・ホット100内にキープされた楽曲となった。また、「ヘイロー」はのちに歌詞を少し変えて、マイケル・ジャクソンへのトリビュートとして歌われたりする楽曲となった。4月には、自身主演で製作総指揮も兼任したサスペンス映画『オブセッション 歪んだ愛の果て』(Obsessed) も全米で公開された。

その後も『アイ・アム...サーシャ・フィアース』から、「エゴ」(Ego)、「ブロークン・ハーテッド・ガール」(Broken-Hearted Girl) もシングルカットされた。「エゴ」はカニエ・ウェストをフィーチャーしたリミックスも発売された。6月には、「スウィート・ドリームス」(Sweet Dreams) をリリースし、日本で本人出演のクリスタルガイザーのCMソングになった。この楽曲はアルバムリリース前に、自身のウェブサイトにて「Beautiful Nightmare」のタイトルで“新曲”として発表していたトラックだった。「I Am... World Tour」で生ラップを披露するジェイ・Z

3月から始まった4回目のソロツアーであり、2度目の大規模なワールドツアー「アイ・アム...ワールド・ツアー」(I Am... World Tour) は、北アメリカヨーロッパアジアオーストラリア中東南アメリカを凱旋し、翌年2010年2月までに計108公演が行われた。頭の「クレイジー・イン・ラブ」(Crazy In Love) のパフォーマンスでは、数ヴァースのラップのためにジェイ・Zが一曲目から生登場したり、ライブ中盤ではサーカスのようにワイヤーリフトで宙吊りになってくるくる回転しながら観客により近い真中の第2ステージに移動しパフォーマンスをするなど豪華なステージングとなった。ティエリー・ミュグレーによる70着以上のコスチュームも話題となり、ビルボード誌のコンサート興行収入ランキングでも1位を獲得するなど過去最大級の成功を収めた。この世界各国のライブ映像をまとめたDVD『アイ・アム...ワールド・ツアー』(I Am... World Tour) に収録され12月にリリースされた。

さらに、このワールドツアーの合間に、8月にはサマーソニック'09のヘッドライナーとして日本に再来日し、10月には神戸大阪名古屋などで5公演の単独来日ツアーを行なった[注釈 2]。この単独公演は、「アイ・アム...ワールド・ツアー」とは、全く別に練られたステージングとプロダクションで行われた。

6月25日のマイケル・ジャクソンの急逝に際しては、「人生とは、何回呼吸をするかではなく、何度息をのむほどの瞬間があるかどうかだと思うの。彼のアートを見て、感じて、聴いた人はみんな、この時代に生きていること、マイケルのマジックを経験することができたことを、光栄に思うでしょう。愛しているわ、マイケル」という哀悼の言葉を自身のウェブサイトで発表した[22]
2010年-2012年:4、出産

ワールドツアー「アイ・アム...ワールド・ツアー」(I Am... World Tour) 敢行途中で発表された第52回グラミー賞で本年度最多10部門でのノミネーションを記録し、ローリン・ヒルと並ぶ、最多ノミネートのタイ記録となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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