ビデオゲームジャーナリズム
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1970年代の後半に日本で、パソコン雑誌漫画雑誌コラムでビデオゲームに関する特集が組まれた[4]。最も初期のビデオゲームの独占特集記事が1981年後期に現れたが、早期のコラムベースの特集が北米や日本で盛んになった。その著名な例として、1980年代初めの週刊少年ジャンプに掲載されたゲームデザイナー堀井雄二のコラムや[5] 、1982年から1992年まで全国に配信されていたローソン・ストローバルの週刊コラム「The Vid Kid」がある。

最初の消費者志向のビデオゲーム専門雑誌は「Arcade Alley」ライターのビル・カンケルとアーニー・カッツとジョイス・ウォーリーによって1981年10月にアメリカで創刊された『Electronic Games』であり、その次が1981年11月にイギリスで創刊された『Computer and Video Games』である。2019年時点で、現在も刊行されている最も古いビデオゲーム雑誌は1986年創刊の『ファミ通』でその次が1989年創刊の『エレクトロニック・ゲーミング・マンスリー』である。

1983年のアタリショックにより西洋のビデオゲーム雑誌市場は酷く傷ついた。1981年11月創刊の『Computer Gaming World』は1984年に18もあったコンピュータゲーム雑誌で生き残ったのは自誌のみであったと1987年に述べた[6]。一方日本では1982年から最初のビデオゲーム専門雑誌が登場し始め、アスキーの『ログイン』を皮切りに、角川書店の『コンプティーク』やソフトバンクの『Beep!』等が創刊された。コンシューマーゲーム及び特定のゲーム機に特化した雑誌は徳間書店が1985年に創刊したファミリーコンピュータ専門誌『ファミリーコンピュータMagazine(ファミマガ)』が最初である。この雑誌は後に1986年創刊の「ファミコン通信(後のファミ通)」、1988年創刊の「ニンテンドーパワー」等といった有名な模倣雑誌を生んだ。

1990年代初め、ビデオゲームジャーナリズムはロシア中国等の国々でのビデオゲーム市場出現に伴い、ヨーロッパから東へ、日本から西へと広がり始めた。ロシア初の消費者指向のゲーム雑誌「Velikij Drakon」が1993年に発売され[7]、1994年中頃に中国初の消費者向けゲーム雑誌「Dianz?YouxiRu?njian」と「Play」が発売された[8]
ウェブベース

最初の2つの電子ビデオゲーム雑誌の内、どちらが「最初に(オンラインで)定期的に公開された」かについて、相反する主張がある。元々は1992年4月に紙のファンジン(同人誌)として始まった「ゲームゼロ」誌は[9]、1994年11月にウェブページを立ち上げ[10]、1995年4月にページを公式に発表したと主張した。ゲームゼロのウェブサイトは、オハイオ州中央部に拠点を置く発行部数1500部の隔週雑誌に基づいており、CD-ROMベースの雑誌に発展し、ピーク時には発行部数が15万部になっていた。ウェブサイトは、1994-1996年の間、毎週更新された。

もう一方の『Intelligent Gamer Online(IG Online)』は1995年4月にウェブ専用サイトとしてスタートし、「bi-weekly(隔週)」の名前に関わらず、日常的にサイトの更新を行った[11] 。Intelligent GamerはWebが普及する何年も前からオンラインで出版をしており、1993年にジョー・バーロウとジェレミー・ホーウィッツによって開発されたダウンロード可能な出版物「Intelligent Gamer」が起源である[12] 。これはホーウィッツとUsenetベースのパブリッシャーのアンソニー・シューベルトのもとで発展し[13]、1994年後半と1995年初めにAmerica Online(AOL)とLos Angeles TimesのTimesLink / Prodigyオンラインサービス向けの 「Intelligent Gamer Online」インタラクティブオンラインミニサイトへと進化した。当時それは「オンラインでしか見つからない最初の全国的なビデオゲーム雑誌」と呼ばれていた[14]

ゲームゼロ誌は1996年末に活動を中止し、アーカイブサイトとして維持されている。一方IG Onlineはホーウィッツとシューベルトの努力により構築された強力なWebコンテンツのライブラリーに支えられ、最終的にIG OnlineはSendai PublishingとZiff Davisに買収された[15][16][17]
ニューメディア

「フューチャー・パブリッシング」はゲーム業界における古いメディアの衰退の格好の例となった。2003年、グループは数百万ポンドの利益と力強い成長を得た[18]が、2006年早期までに出版利益が警告されており[19]、不振の雑誌を休刊した(ゲームとは関係なし)[20]。その後、2006年11月下旬に出版社は4900万ユーロ(9600万ドル)の税引き前損失の発生と銀行債務を減少させるためにイタリアの子会社「フューチャー・メディア・イタリア」の売却を発表した[21]

2006年中頃、Eurogamerの事業開発マネージャーのパット・ガラットは、Webに適応していなかった出版型のゲームジャーナリズムの人々への批判を書き、フューチャー・パブリッシングのような企業が直面している課題となぜ彼らがそれらを克服しなかったのかを自身の出版事業での過去の経験を引き合いに出し説明した[22]

これは、マスメディアからニッチな専門家に向かう動きと相まって、別注ゲーム執筆市場が拡大している。このゲームの報道は、客観的ではなく、特定の観点から書かれていることを認めている。例えば、「ゲーム・ピープル」のソーシャルメディアなどのアウトレットでは、このバイアスをコンテンツ独特のセールスポイントとして使用している。

Eスポーツ人気の高まりで、ESPNYahoo!のような伝統的なスポーツを報じるウェブサイトは自社のEスポーツ専門部門を2016年早期に開設した[23][24] 。この動きは物議を醸しており、特にESPNのケースでは同社の社長のジョン・スキッパーがEスポーツはスポーツに代わるコンペティションと述べた[25] 。このEスポーツへのシフトに対する反応は大きな関心と大きな嫌悪どちらもあった[26]。2019年時点でもESPNとヤフーはEスポーツのネット報道を継続しているが、Yahoo eSportsは2017年6月21日に終了した。

ESPNとYahooに加えて、「スコア・エスポート」や「ドット・エスポート」などの現代のEスポーツ専用のニュースサイトは、『カウンターストライク』、『League of Legends』、『Dota 2』などのゲームを幅広くカバーしている[27]
独立性

最初のコンシューマーゲームが登場して以来、自主制作のゲームのファンジン(同人誌)が出てきたとはいえ、殆どのゲーマーの生活にインターネットが浸透したことでビデオゲームのジャーナリズムにおいて独立ライターが発言できるようになった。大手ゲームパブリッシャーの殆どが当初は無視していたが、コミュニティが影響力と献身的な読者層を拡大していき、プロレベルの(またはプロに近い)執筆が増えていったことからそれらの大企業の注目を集めていった。

独立ビデオゲームサイトは一般に非営利団体で、収益は運営費用と時にはライターへの支払いに回される。独立の名前が示すように、企業やスタジオと提携しているわけではないが、無規制のサイトモデルには偏見がつきものである。多くの独立サイトがブログ形式である。読者が記事を書き、編集チームによって調整される「ユーザー提出型」のモデルもまた人気である。

近年では一部の大規模独立サイトがより大きなメディア企業(多くの場合Ziff Davis)に買収され始めており、Ziff Davisは複数の独立系サイトを所有している。

2013年から2014年にかけてIGNGameSpotは大規模なレイオフを発表した [28][29]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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