ビッグ・バン
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ビッグバン理論では、宇宙は極端な高温高密度の状態で生まれた、とし(下)、その後に空間自体が時間の経過とともに膨張し、銀河はそれに乗って互いに離れていった、としている(中、上)。

ビッグバン(: Big Bang)とは、宇宙は非常に高温高密度の状態から始まり、それが大きく膨張することによって低温低密度になっていったとする膨張宇宙論(ビッグバン理論)[1]における、宇宙開始時の爆発的膨張。インフレーション理論によれば、時空の指数関数的急膨張(インフレーション)後に相転移により生まれた超高温高密度のエネルギーの塊がビッグバン膨張の開始になる[2]。その時刻は今から138.2億年(13.82 × 109年)前と計算されている[3]

遠方の銀河ハッブル?ルメートルの法則に従って遠ざかっているという観測事実を一般相対性理論を適用して解釈すれば、宇宙が膨張しているという結論が得られる。宇宙膨張を過去へと外挿すれば、宇宙の初期には全ての物質エネルギーが一カ所に集まる高温度・高密度状態にあったことになる[1]。この高温・高密度の状態よりさらに以前については、一般相対性理論によれば重力的特異点になるが、物理学者たちの間でこの時点の宇宙に何が起きたかについては広く合意されているモデルはない。

20世紀前半までは、天文学者の間でも「宇宙は不変で定常的」という考え方が支配的だった。1948年ジョージ・ガモフは高温高密度の宇宙がかつて存在していたことの痕跡として宇宙マイクロ波背景放射 (CMB) が存在することを主張、その温度を5 Kと推定した。このCMBが1964年になって発見されたことにより、対立仮説(対立理論)であった定常宇宙論の説得力が急速に衰えた[1]。その後もビッグバン理論を高い精度で支持する観測結果が得られるようになり、膨張宇宙論が多数派を占めるようになった[1]

"Big Bang" は英語で「大きなバン!(という音)」を意味する。
歴史

ビッグバン理論は、紆余曲折を経て、観測と理論の両面が揃って徐々に認められるようになってきた歴史がある。

20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は定常的なものだと考えていた。「宇宙には始まりがなければならない」という考えを口にする天文学者は皆無だった[4]エドウィン・ハッブルも、柔軟な考えを持っていると評価されているアインシュタインですらも「宇宙に始まりがあった」という考えには否定的であった[4]

1922年ソ連天文学者であるアレクサンドル・フリードマンが膨張する宇宙のモデルを発表する。

1927年にはベルギーの司祭で天文学者のジョルジュ・ルメートルが一般相対論のフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に従う方程式を独自に導き出し、渦巻銀河が後退しているという観測結果に基づいて、「宇宙は原始的原子 (primeval atom) の“爆発”から始まった」というモデルを提唱した[5]

1929年ハッブルは、銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっており、その速度は地球から各銀河までの距離に比例していることを発見した[注 1]

ロシア出身の天文・核物理学ジョージ・ガモフは、ジョルジュ・ルメートルが提唱したビッグバン理論を支持し発展させた[4]。ガモフは、初期の宇宙は全てが圧縮され高密度だったうえに、超高温度だったとし、宇宙の膨張の始まりを、熱核爆弾の火の玉と捉え、創造の材料(陽子中性子電子ガンマ線の高密度ガス。これらの材料をガモフは「イーレム」と呼んだ)が爆発の場で連鎖的に起きる核反応によって、現在の宇宙に見られる様々な元素に転移したのだ、と説明した[6]。1940年代、ガモフとその共同研究者たちは、熱核反応によって創世が起きたとする説明の細部を詳細に描く論文をいくつも執筆した。だが、この説明では上手くいかなかった。原子核のなかには非常に不安定なものがあり、再融合する前にバラバラになり、彼が求めていた、元素へと組成する連鎖が途中で途切れてしまうのだった[6]。ガモフたちの研究や論文は無視され軽視されたままになり、研究チームは1940年代末に解散してしまい、チームメンバーでは科学を捨てる者もいた。ガモフ自身も研究者としては一線を退いたが、ガモフは大衆向けに科学宇宙論の本を書いたりし、次世代に影響を与えた[6]

フレッド・ホイルは「宇宙に始まりがあった」という考えを嫌っていた[6]。ホイルが1948年に出したモデルは「定常モデル」と呼ばれる。このモデルでは銀河が互いに遠ざかるに従って、あとに残った空間に新しい物質が現れ出て、それが固まることで新たな銀河を形成してゆくとし[7]、これにより宇宙の物質密度が一定に保たれるとした。このモデルでは大まかに言えば、宇宙はいつでも同じように見えることになる[7]。これは「宇宙は永遠無限だから偉大なのだ」と考える当時の科学者たちの心をつかんだ。またホイルの説はビッグバン説よりエレガントに思われたため物理学者らに好まれた[8]。ハッブルまで定常説が自然だと見なしていた[8]

しかしホイルは、定常モデルであってもビッグバン・モデルと同様に炭素酸素窒素ウランなどの化学元素の起源を説明しなければならない、という問題に気づいた[9]。ホイルは、時間の始まりに一発のビッグバンがあってそれが核反応炉の役割を果たしたとしなくても元素が創生されたと説明がつくことを示すために、「星ではありとあらゆる核種変換が起こっている」と提唱した[9]。そのため1953年にはカリフォルニア工科大学ケロッグ放射線研究所に赴いて、所長のウィリアム・ファウラーの協力で、泡箱を用いて原子核の衝突実験(3個のヘリウムでできる炭素の原子核の性質を調べる実験)を成功させた[9]。これにより炭素は星のなかで無尽蔵に作られる性質があることが判った。その後も彼ら2人を含めて数名が元素の歴史に迫り、B2FH論文に結実させた[9][10]。だが、こうした論文は定常モデルに有利に働いたというよりむしろ、ハッブルの観測によって導かれた星の進化に関するアイディア群がより完成度を高めた、と一般には見なされた[9]

《ビッグバン VS 定常宇宙》論争では、ローマカトリックは早い段階で、どちらの陣営を支持するか態度を明らかにしていた。1951年に教皇ピウス12世はバチカン宮殿で会議を開き、「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」との声明を発表した[注 2]

1953年にハッブルが亡くなると、ウィルソン山天文台で彼の部下であったアラン・サンデージは、ハッブルが計画した「宇宙のサイズと運命を推算する仕事」を引き継いだ[12]


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