ビスケー湾
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ユー島(23 km2)

ウェサン島(15 km2)

グロワ島(14 km2)

スペイン


サンタ・クララ島(0.056 km2)


オレロン島

レ島

サンタ・クララ島

ガステルガチェ

主な河川ガロンヌ川とボルドー市街地ビダソア川河口部のチングディ湾ナントを流れるロワール川

フランスには流域面積100,000km2を超えるロワール川や流域面積50,000km2を超えるガロンヌ川などの大河川があるが、スペインのビスケー湾岸は平野に乏しいことから大きな河川が存在しない。ビダソア川はフランス=スペイン国境(チングディ湾)でビスケー湾に注いでいる。
フランス


ロワール川(ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏)

シャラント川(ポワトゥー=シャラント地域圏)

ガロンヌ川(アキテーヌ地域圏)

ドルドーニュ川(アキテーヌ地域圏)

アドゥール川(アキテーヌ地域圏)

ニヴェル川(アキテーヌ地域圏)

フランス=スペイン国境


ビダソア川

スペイン


オイアルツン川(バスク州)

ウルメア川(バスク州)

オリア川(バスク州)

ウロラ川(バスク州)

デバ川(バスク州)

アルティバイ川(バスク州)

オカ川 (スペイン)(英語版)(ウルダイバイ河口、バスク州)

ネルビオン川(ビルバオ河口、バスク州)

アグエラ川(英語版)(カンタブリア州)

アソン川(英語版)(カンタブリア州)

ミエラ川(英語版) (カンタブリア州)

パス川(英語版)(カンタブリア州)

サイア川(英語版) (カンタブリア州)

ナンサ川(英語版)(カンタブリア州)

デバ川(英語版) (カンタブリア州=アストゥリアス州境)

セーリャ川(英語版)(アストゥリアス州)

ナロン川(アストゥリアス州)

ナビア川(アストゥリアス州)

エスバ川(英語版)(アストゥリアス州)

エオ川(英語版)(アストゥリアス州=ガリシア州境)

ランドロ川(英語版)(ガリシア州)

ソル・マニョン川(英語版)(ガリシア州)

主な沿岸都市沿岸の主要都市ビルバオ都市圏
フランス


ブレスト

サン=ナゼール

ナントロワール川を遡った位置)

ラ・ロシェル

ロシュフォール

ボルドージロンド川を遡った位置)

バイヨンヌ

ビアリッツ

サン=ジャン=ド=リュズ

スペイン


イルン

サン・セバスティアン

ビルバオネルビオン川を遡った位置)

ラレド

サンタンデール

リャネス

ヒホン

アビレス


スペインのビスケー湾岸

ビスケー湾に発生した水の華

ビアリッツの海岸

自然かつて多く生息していたタイセイヨウセミクジラ

ビスケー湾は地球上でもっとも多くのイルカ・クジラ類の種が生息する場所であり[5]クジライルカなど多くの海洋哺乳類の種を見ることができる。アカボウクジラなどのアカボウクジラ科が比較的頻繁に観察されている数少ない場所のひとつであり、ビスケー湾はアカボウクジラ科にとって世界最高の研究地域である。1995年頃からビスケー湾イルカ調査プログラムの研究者は[5]、ポーツマスとビルバオの間を航行するP&Oフェリーのブリッジから定期的にイルカ・クジラ類の活動を観察・監視しているが、湾内で行われているトロール漁などがイルカ・クジラ類に被害を与えているとされる[5]

タイセイヨウセミクジラはもっとも絶滅の危機に瀕しているクジラの種である。かつては食事のために、またおそらく分娩のためにもビスケー湾にやってきたが、バスク人や他の民族の捕鯨活動によって1850年代以前にほとんど一掃された。今日、大西洋東部ではこの種はほぼ絶滅したと考えられており、現代ではわずかな目撃例を除いて、ビスケー湾でのこのクジラの記録は存在しない。わずかな事例としては、1977年に北緯43度00分 西経10度30分 / 北緯43.000度 西経10.500度 / 43.000; -10.500で母子と思しきペアが確認され[6]、1980年6月初頭に商業船から別のペアが確認されている。1977年9月にはガリシア州の北緯43度00分 西経10度30分 / 北緯43.000度 西経10.500度 / 43.000; -10.500で捕鯨会社によって報告された個体がおり、さらにイベリア半島から観察された別の個体も報告されている。

スペイン国内における最後の確実な目撃情報は、1993年12月にエスタカ・デ・バレス岬で報告されている[7]
歴史1943年のビスケー湾の戦い
漁業

ビスケー湾はバスク人捕鯨揺籃の地である。9世紀、ヴァイキングがビスケー湾沿岸地域のボルドーやバイヨンヌといった主要都市を支配した頃から、この地域で小舟と銛による集団捕鯨が始まった。以降、バスク人は主にタイセイヨウセミクジラを漁獲、ヨーロッパ各地に鯨油・鯨肉・鯨髭を輸出し、中世において商業捕鯨がこの地域の基幹産業となった。14世紀頃にビスケー湾沿岸での捕獲量が減少したのをうけて、バスク人漁師たちは大西洋北西部のニューファンドランド島近海まで進出し、1560年代にバスク人の捕鯨は最盛期を迎えた。17世紀にオランダやイギリスなどが捕鯨を開始すると寡占状態が崩れ、バスク漁業はビスケー湾を基地とするタラの漁獲や塩干しの加工へと移行した。タイセイヨウセミクジラは19世紀までに個体数が激減したため、1937年以降には捕鯨が禁止されている。
軍事

中世から近世には何世紀にも渡って、ビスケー湾は各国海軍の交戦地となった。1592年、スペイン海軍はビスケー湾の戦い(英語版)でイギリス海軍に勝利した。1795年6月のビスケー作戦(英語版)はフランス革命戦争2年目にブルターニュ海岸南部でイギリス海峡艦隊とフランス大西洋艦隊が交えた2度の戦いの総称である。

1918年6月22日には、アメリカ海軍装甲巡洋艦のカリフォルニアが沈没した[8]機雷に接触したとする説もあるが、沈没の理由は定かではない。

第二次世界大戦においてフランスがナチス・ドイツに降伏すると、ビスケー湾沿岸はドイツ海軍により基地化され、Uボート・ブンカーなどが建設された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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