ビサヤ諸島の戦い
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日本軍の守備隊は第102師団から派遣された1個大隊であったが、ほとんど抵抗できずに山中へ撤退した。続けて、隣接するギマラス島も占領され、泊地を管理していた日本海軍部隊は壊滅した。
セブ島

セブ島は日本軍のビサヤ諸島防衛の中心拠点で、第35軍司令部と兵力14500人が置かれていた。もっとも実態は脆弱で、兵力の大半は航空機整備員や野戦病院職員、憲兵などの後方部隊であった。主力の第102師団は各地に戦力を抽出されて1個大隊しかなかった。ほかにレイテ島から撤退してきた第1師団片岡董中将)がいたが、わずかに人員補充を受けた程度で、1000名の主に傷病兵からなる名ばかりの師団であった。日本海軍の大規模な飛行場と第33特別根拠地隊(司令官:原田覚少将)があったが、戦力は少数の特殊潜航艇(甲標的)と急造の陸戦隊があるのみだった。第35軍司令部はミンダナオ島へ移動途中で、第102師団長の福栄中将もレイテ島からの無断撤退の疑いで一時職権を停止されていた関係で、地上戦の指揮は第102師団の歩兵第78旅団長であった万城目武雄少将が実権を担った。

連合国軍の上陸までの間、第33特根の特殊潜航艇は、ミンダナオ海での連合軍艦船攻撃や要人輸送を活発に行っていた。日本側は巡洋艦や輸送船撃沈など多数の戦果を記録しているところ、リバティ船オリバー・ケリー(Oliver Kelly)の損傷などはこれらの特殊潜航艇によるものと見られている[1]。なお、第33特根司令官の原田覚少将は、特殊潜航艇母艦である「千代田」の艦長を務めたことがあり、特殊潜航艇部隊の運用経験が深かった。セブ島タリサイ海岸に上陸したアメリカ軍兵士。

3月26日に、激しい砲爆撃の援護を受けて、アメリカ軍のアメリカル師団タリサイ地区に上陸を開始した。現地のゲリラ部隊8500人が協同した。第33特根の残存特殊潜航艇は自沈した。日本軍は弱体な戦力のわりに激しく抵抗し、ときにはアメリカル師団長を驚かせるほどだった。アメリカ軍の損害は日本側の損害に比べればかなり少ない数であるものの、ビサヤ諸島の戦いで最大となった。6月下旬までに島の主要部の制圧を終えたと判断したアメリカ軍は、正規部隊による攻撃を停止し、以後は現地人ゲリラのみによる掃討が行われた。

セブ島の日本軍指揮官の多くは総攻撃に出て玉砕すべきと主張していたが、ルソン島の第14方面軍司令部はこれを却下して、遊撃戦を中心とする持久戦にするよう下命した。そのため、セブ島諸隊は太平洋戦争終戦の8月頃まで、連合軍側のゲリラと戦いつづけた。
ボホール島ボホール島の山岳地帯。

4月11日、アメリカ軍1個大隊がボホール島に上陸した。日本軍の守備兵力は、レイテ島に抽出されて1個中隊しか残っておらず、ほとんど抵抗できなかった。5月初旬にアメリカ軍部隊は撤収し、以後はゲリラ部隊が日本軍の掃討を担当した。
結果

終戦までにはビサヤ諸島の主要部は連合軍の支配下になっていた。日本軍は戦闘で多数の死傷者を出したうえ、ジャングルに追い込まれ飢餓と病気、ゲリラ攻撃で消耗していった。日本軍は各地で孤立してボロボロの状態で終戦を迎えた。
脚注^The Official Chronology of the US Navy in World War II

参考文献

防衛研修所戦史室 『捷号陸軍作戦(2)ルソン決戦』 朝雲新聞社戦史叢書〉、1972年。

U.S. ARMY CAMPAIGNS OF WWII Southern Philippines: 27 February--4 July 1945 (米陸軍公刊戦史)
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