と記した[5]。ジンメルいわく、戦争は統一化、単純化、そして集中化の力
である[3]。ジンメルと同様に国家主義(ナショナリズム)的な社会学者兼経済学者ヴェルナー・ゾンバルトも、戦争によって社会は「意味」と「集団的目的」を取り戻したのだ、と主張した[4]。ゾンバルトは『商人と英雄 ―― ナショナリズム的な省察』において、資本主義と英雄主義との対立を、「宗教戦争」として解釈し直した[4]。その戦争は
「英雄の国」(ドイツ)
「商人と商店主の国」(イギリス)
という二項対立として表現された[4]。ゾンバルトによれば、ブルジョア社会(市民社会・資本主義社会)とは、国家の「破滅への道」である[4]。しかし、戦争は国家を救う[6]。「奇跡が起こり」、古き「英雄精神」が開花するのは、戦争というもののおかげである[7]。戦争は「勇気」・「自己犠牲」・「従順」・「信心深さ」といった「徳」を復活させるという[7]。批判を受けた場合ゾンバルトは、自分は「ユダヤ人」から被害を受けていると主張した[7]。
ゾンバルトいわく、戦争とは「実存的な戦い」であり、異なる国家の間だけでなく、異なる文化や世界観(Weltanschauungen)の間でも行われる[8]。そして、資本主義国イギリスや共和主義国フランスは
「西ヨーロッパ文明」
「1789年の理念」(フランス革命・人権宣言)
「商業的価値観」
を体現しているとした[8]。ゾンバルトはそういったブルジョア意識(資本主義)を「快適主義(Komfortismus)」と呼び、批判した[9]。「快適技術」も参照
また、「ランゲマルクの戦い」に参加し、戦場での「英雄的行為」を讃える作品を書いたエルンスト・ユンガーは、すべての喜びは心の中で生きられる。すべての冒険は冒険につきまとう死の間際で生きられる。
と述べた[10]。死は、劇的かつ精神的な刃となって、「喜び」を「快適主義」から切り離すとされた[11]。
オズワルト・シュペングラーなどのドイツ思想家たちも、ブルジョア階級・商人・ビジネスマンを「生命にしがみつき、高い理想のために死ぬことを躊躇し、暴力的闘争から逃れようと躍起になり、人生の悲劇的要素を否定しようとする」、という理由で軽蔑していた[12]。 ウェーバーやジンメルの態度には、自由主義(リベラリズム)も見られた[7]。しかしドイツ・オーストリア・ハンガリーなどでは、戦争を理由に知識人が自由主義を捨て、左翼・右翼の原理主義に走るようになり、政治的二極化が起きた[7]。このような人々は、資本主義(近代世界システム)を「改革」しようとはせず「超克」しようとした、とされている[7]。「近代の超克」、「超人」、「ロマン主義」、「国家社会主義(ナチズム)」、および「反ユダヤ主義」も参照 哲学者、記号学者、オックスフォード大学名誉研究員のウンベルト・エーコによると、様々な結束主義(ファシズム)の中でも典型的なものは「原ファシズム」または「永遠のファシズム」という[13]。原ファシズムにおける、英雄主義と「死の崇拝」(死万歳)との関連について、エーコは次の通り論じている[14]。 こうした見通しに立って、〈一人ひとりが英雄になるべく教育される〉ことになります。神話学において、「英雄」はつねに例外的存在ですが、原ファシズムのイデオロギーでは、英雄主義とは規律なのです。その英雄崇拝は「死の崇拝」と緊密にむすびついています。ファランヘ党の合言葉が「死万歳!」であったことは偶然ではありません。 ふつうの人びとになら、死ぬのはいやだろうけれど尊厳をもって立ち向かいなさい、と言うものですし、信仰者に対しては、死は神の意志による幸福に到達するための悲痛な方法なのです、と言うものです。ところが原ファシズムの英雄は、死こそ英雄的人生に対する最高の恩賞であると告げられ、死にあこがれるのです。原ファシズムの英雄は死に急ぐものです。そのはやる気持ちが、実に頻繁に他人を死に追いやる結果になるのだということは、はっきり言っておくべきです。[15] 原ファシズムには「伝統崇拝」という特徴もあり、これはフランス革命後の反革命思想に典型的だとされる[16]。 国家社会主義(ナチズム)によって、カミカゼ(神風特攻隊)は英雄として位置づけられた[17]。1944年11月4日、ナチスの機関紙『民族の監視者(フェルキッシャー・ベオバハター)』は、東京発で記事を一面に掲載した[17]。「カミカゼが新たな戦果・日本の決死の飛行士」 […]まず明らかなことは、彼らは英雄的な行為として機体もろとも目標への突入を完遂しているのである。[18] この記事は「シキシマ隊の隊長」についても述べており、それは神風特攻隊の敷島隊を率いた、関行男大尉のことだった[19]。関大尉は出撃直前に「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて、日本はお終いだよ」と述べていたが、この言葉は戦後まで明らかにされないまま、軍部もメディアも特攻隊を「英雄」として美化した[20]。 「サムライの国」の特攻作戦を、空軍大佐のハヨ・ヘルマンは、現実の戦略として練り上げ、エルベ特攻隊を組織した[21]。ドイツ側は特攻隊の戦果を誇張したと見られるが、ドイツ指導部は失望していた[22]。例えばヨーゼフ・ゲッベルスは、7日の日記に「成果は確定していないが、期待していたほどは高くなかったようだ」と記している[22]。米軍側の損害は、爆撃機・戦闘機合わせて2000機からすればわずかであり、ドイツへの空襲は予定通りに進んだ[23]。
資本主義の超克
死の崇拝・自殺攻撃との関連詳細は「死の崇拝」および「自殺攻撃」を参照
枢軸国および枢軸国陣営
ナチス・ドイツ