1999年公開の『恋のからさわぎ』でハリウッドに進出。この映画の成功で、ヒース・レジャーのもとにはアイドル路線的な役柄のオファーが殺到するようになったが、本人がこの路線を拒否し、エージェントにはシリアスで重みのある役柄を演じたいと申し入れた。しかし、大した実績もない駆け出しの若手俳優にそうしたオファーがそうそう来るはずもなく、その後ほぼ1年間、本人いわく「ヌードルと水」だけの貧窮生活を送ることになった[8]。
2000年、ヒース・レジャーは『パトリオット』に出演してメル・ギブソンの息子役を演じた。この映画の評価自体は二分されたものだったが、レジャー自身は「メジャーなスターになれるだけの才能とルックスを備えている」と評価されるなど、その演技は好感をもって受け入れられた[9]。
2001年公開の『チョコレート』では、ビリー・ボブ・ソーントンの息子役を演じた。冒頭40分足らずの出演であったが、その演技は「短いながらも強烈な存在感」との批評を得るなど[10]、単なる若手アイドル俳優ではないことを示した。ダニエル・デイ=ルイスも、後年の全米映画俳優組合賞での追悼スピーチの中で、『ブロークバック・マウンテン』とともにこの映画での彼の演技を讃えている。
2001年公開の『ROCK YOU!』でハリウッド作品に初主演する。この作品は全米興行収入初登場1位を記録、約5600万ドルのヒットとなりトップスターの仲間入りを果たす。この年のピープル誌の「最も美しい人物50人」にも選出された。その後も『サハラに舞う羽根』や『ケリー・ザ・ギャング』、『ブラザーズ・グリム』など、様々なジャンルの映画に出演した。これらの映画において、ヒース・レジャーの演技はそれなりに評価される向きもあったものの、映画自体の興行がいずれもふるわず、また批評家からの作品レビューも辛辣なものがあった。 2004年製作、2005年公開の映画『ブロークバック・マウンテン』にイニス・デルマー
『ブロークバック・マウンテン』
ヒース・レジャーはこの役でニューヨーク映画批評家協会賞などを受賞。また、史上9番目(26歳と302日)の若さでアカデミー主演男優賞にノミネートされ、映画芸術科学アカデミーの会員に招待された[11]。
『ブロークバック・マウンテン』は2005年度の各映画賞を総なめにした。また、当初全米で5館のみという上映であったが次第に上映館を増やし、興行収入もこの種の映画では考えられないほど記録的なものになった。
『ブロークバック・マウンテン』以後第64回ヴェネチア国際映画祭にて。左からリチャード・ギア、トッド・ヘインズ、シャルロット・ゲンズブール、ヒース・レジャー。
『ブロークバック・マウンテン』の後、ロマンティック・コメディ映画『カサノバ』に出演した。作品自体評価のあまり高くないドタバタ喜劇で、「レジャーのカリスマ性と知性は、発想が陳腐で演出も不器用なこのバロック風駄作には、もったいなさすぎる」(『英タイムアウト誌
』)[12][13]と、前作で名声を得た彼がこうしたB級映画に出ることを惜しむ批評もあったが、レジャー自身はこの映画の出演を楽しんだ。2006年公開のオーストラリア映画『キャンディ』では、ドラッグに溺れる詩人志望の役柄を演じた。映画自体は『ブロークバック・マウンテン』以前に撮られていたが、公開は2006年まで先延ばしにされていた。低予算で作られた映画だったが、『ブロークバック・マウンテン』以降のヒース・レジャーの人気もあって、公開されるとそれなりの興行収入を叩きだした。彼の演技も「レジャーは、まっすぐに生きられない人間を、傑出した才能で演じた」「彼は冒頭からキャラクターになりきっている」(『ニューヨーク・タイムズ』)[14]と評されるなど、批評家から高い評価を受けた。
2007年公開の『アイム・ノット・ゼア』では、ボブ・ディラン役を演じる6人の俳優の1人として出演した。この映画がヒース・レジャーの生前に公開された最後の映画となった。 2008年の死後に公開された『ダークナイト』では主人公バットマンの宿敵ジョーカーを演じた。
『ダークナイト』