ヒース・レジャー
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

また、関係者にも感謝の意を伝え、「息子は映画の世界を愛していました」とメッセージを送った[18]。また、同助演男優賞の中では史上4番目(28歳と324日)の若さでの受賞となった。

死亡時、テリー・ギリアム監督作『Dr.パルナサスの鏡』の撮影途中であったため、ジョーカーを演じた『ダークナイト』が遺作になるものとみられていたが、親友のジョニー・デップコリン・ファレルジュード・ロウが代役の出演を快諾して製作の続行が可能になり、無事に完成し公開された。なお、本作でのヒースの演技はカット・加工されることなく予定通り使用された。さらに、ヒースの代役を務めた3人は出演料のすべてを娘のマティルダに寄付した[19]
監督活動

ヒース・レジャーは映画監督業にも興味があり、生前いくつかのミュージックビデオでは監督をつとめている。2006年には、オーストラリアのヒップホップアーティストN'faのシングル「Seduction Is Evil (She's Hot)」[20][21]ベン・ハーパーのシングル「Morning Yearning」のミュージックビデオを監督した[22][23]
突然の死住んでいたアパートに置かれた献花

2008年1月22日、ヒースは映画『ダークナイト』の完成を待たずに、マンハッタンの自宅アパートで全裸状態の遺体が発見された[24][25]。28歳没。前年11月頃から不眠症となり、「とても疲れているのに2時間程しか眠れない」と映画『ダークナイト』出演に際してのインタビューでは睡眠薬服用を公言している。また、インタビュー時期は自身の婚約解消と別居が重なる時期でもあった。当時はインフルエンザにもかかっており、薬の併用摂取(特定の薬物を過剰摂取したわけではない)による急性薬物中毒による事故死だった[26]

1月26日にロサンゼルスで、2月9日に地元パースの学校で葬儀が行われた。

当初は、睡眠薬の過剰摂取による自殺と見られていたが、最近になって、ドラッグによる中毒死だと報道された。 ヒースは、友人であり、同じく、ドラッグ中毒によって死亡したフィリップ・シーモア・ホフマンに、自身の麻薬依存症について相談している[27]
私生活

2001年から2002年まではヘザー・グラハム、2002年から2004年まではナオミ・ワッツと交際。『ブロークバック・マウンテン』で共演した女優ミシェル・ウィリアムズと2005年に婚約。同年10月28日に長女マティルダ・ローズが誕生したが、2007年9月に婚約解消[28]。その後はヘレナ・クリステンセン[29][30]ジェマ・ワード[31]メアリー=ケイト・オルセン[32]とも交際の噂があった。
評価

映画評論家の
ピーター・トラヴァースは、雑誌『ローリング・ストーン』誌上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャーの壮麗な演技は、まさに演技における奇跡である」と述べ、「レジャーは彼(イニス)がどう動くか、どんな喋り方や動き方をするかを理解しているだけではなく、どう呼吸するかまで理解している」と評した[33]

作家、音楽・映画批評家、詩人のステファン・ホールデンは、『ニューヨーク・タイムズ』紙上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャー氏の演技は、マーロン・ブランドショーン・ペンの最良の演技に匹敵するくらい、偉大な演技である」と評した[34]

ダニエル・デイ=ルイスは、ヒース・レジャー死去直後の2008年全米映画俳優組合賞、主演男優賞の受賞スピーチにおいて、自分に映画界復帰の気持ちを与えてくれた俳優としてヒース・レジャーの名前を挙げ、「『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技は、比類なく、完璧でした」と語り、「映画の最後のあのトレーラーの場面は私が今まで見た全てのシーンのどれにも引けを取らないほど感動的でした」と述べて、賞をヒース・レジャーに捧げた[35]

マスコミとの確執・あがり症

マスコミ及びパパラッチ嫌いであり、『
キャンディ』の撮影現場にいたパパラッチにつばを吐いたことがきっかけ(ヒース側は否定)で[36]、2006年1月にシドニーで行われた『ブロークバック・マウンテン』のプレミアのレッドカーペットで、パパラッチに水鉄砲で水をかけられた[37]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:138 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef