ヒヴァ・ハン国
[Wikipedia|▼Menu]
また、1570年代にアムダリヤの水路の変化によって首都のクフナ・ウルゲンチは衰退し[9]、アラブ・ムハンマド(在位1603年 - 1621年)の治世の初期にウルゲンチはコサックから略奪を受けた[10]。アラブ・ムハンマドの治世の末期にヒヴァに遷都された[1]。1621年、アラブ・ムハンマドは子のハバシュとイルバルスによって廃位される[10]。イルバルスは追放され、トルクメン人から支持を受けた王子イスファンディヤールが即位するが、イスファンディヤールはハン位をうかがう兄弟と戦わなければならなかった[11]

17世紀半ばに即位したアブル=ガーズィー(在位:1644年 - 1663年)、アヌーシャ(在位:1663年 - 1685年)親子の治世にハンの権力は強化され、積極的な灌漑事業、都市建設、軍事遠征が実施された[12]1643年に即位したアブル=ガーズィー1645年に国内のトルクメンを虐殺し[13]、彼らに代わってウズベク族出身のアミール(軍事貴族)を要職につけて国内を安定させる[7]。アブル=ガーズィーは内紛で混乱するブハラ・ハン国に7回の遠征を行い[7]ロシアなどの近隣の国家と通交した[14]1646年/47年に荒廃したウルゲンチの住民のために新たなウルゲンチが建設され、アヌーシャの在位中にはハン国内部にベシュ・カラと呼ばれる灌漑網が整備される[12]。二人の在位中にハン国南部に建設されたウルゲンチなどの都市と運河は19世紀以降も主要都市、幹線運河の地位を保ち続ける[15]。アブル=ガーズィー、アヌーシャの軍事遠征に疲弊したアミールたちはアヌーシャを廃位し、その後およそ30年の間に10人以上の王族がハンが即位するが、王族の出自は一部の人物を除いて不明な点が多い[16]
18世紀

18世紀には遊牧民の侵入、王家の内紛に加えて、ウズベクとトルクメンの対立とロシアの介入がハン国を苦しめた[7]。ヨムド部族をはじめとするトルクメン人の略奪によって、ハン国の領土は荒廃する[17]

1714年からロシア帝国ピョートル1世の命令を受けたチェルケス人将校ベコヴィチ・チェルカスキー(デヴレト・ギレイ)が、中央アジアのカスピ海東岸地域を調査し、現地に要塞を建設していた。1717年にベコヴィチがヒヴァ遠征を行った際、当時のハン・シール・ガーズィーはベコヴィチを欺いてロシア軍を壊滅させ、彼を殺害した[18]1720年にシール・ガーズィーはロシアに謝罪の使者を送るが、使者はサンクトペテルブルクの牢に幽閉され、獄死した[19]

1728年に、創始者のイルバルスとは別の家系の出身であるカザフ族のイルバルス2世がハンに選出される。1720年代末からイランで台頭したアフシャール朝ナーディル・シャーの攻撃に対して、ブハラとは反対にヒヴァは激しく抗戦した[20]1736年にアフシャール朝の王子レザー・クリーが中央アジアに侵入すると、イルバルス2世はブハラの軍と連合して勝利を収める。ブハラがナーディル・シャーに降伏した後、ヒヴァの宮廷に降伏を勧告する使者が送られると、イルバルス2世は使者を処刑して拒絶の意思を示した[21]。しかし、1740年にヒヴァはナーディル・シャーに占領され、イルバルス2世は処刑された。1740年から1747年までの間、ハン国はアフシャール朝に従属する[22]

18世紀後半に入ったころのハン国は領内が荒廃しており、ヒヴァの建造物は廃墟となって住民の数は減少した[17]。カザフ出身のハン・カイプは王権を回復するために実権を握っていたアミールのアタリク・フラズ・ベクと、彼の出身部族であるマンギト部の人間を処刑した[23]。しかし、課税に反発したハン国の住民が暴動を起こしたため、カイプはカザフスタンに逃亡した[24]。新たにハンとなったカイプの兄弟カラバイは、ブハラ・ハン国の仲裁によって、1757年1758年)にブハラの傀儡であるテムル・ガーズィーをハンとすることで反乱者と和解した[25]

1763年からは、コンギラト族出身のイナク(宰相)のムハンマド・アミーンが実権を握った[7][26]1770年にヒヴァの町はヨムド部族によって占領・略奪され、さらにハン国南部で発生した飢饉のために住民はブハラ方面に移住する[27]。同1770年にムハンマド・アミーンはブハラに亡命し、ブハラのダーニヤール・ビーの支援を受けてヨムド部族からヒヴァを奪回した[28]国政を掌握したムハンマド・アミーンは自らハン位に就かず、傀儡のハンを立てて他のアミールと争った[28]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:83 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef