溶岩浴と加圧トレーニングジムを経営している。年収は3億円とも言われ、タレント全盛期時代より稼いでいるとの話もあったが、司会者当時の月収は6000万と言われており、これには及ばない[16]。また、アパレル事業(ハチオウジ工務店)などのビジネスを展開しているほか、様々なコラボ商品も販売している。 2019年12月2日に『Hiromi factory チャンネル』を開設し[2]、YouTubeでの活動を開始。主に趣味、バラエティ、ライフスタイル、家族らとの交流などの動画を発信しており、中高年の男性から絶大な支持を受けている。 B-21スペシャルとして『お世話になりました』のユーロビートアレンジ(サウンドプロデューサー/アレンジは崎谷健次郎)のカバーでデビュー。また「1or8」
YouTube活動
歌手活動
『前略ヒロミ様』内でX-GUNの西尾季隆らと結成したバンド、『フライングオイスターズ』でライブを行い、CD『振り向け』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)をリリースする。
『輝け!ソングラ天国』で出会ったザ・茶番とのコラボレーションでのCD『ビンテージ』をリリース。続くセカンドシングル『イッテコイノチャラ』はカバーイラストを手がける。
『apa 大人の遊び方』内で仲間(小島嵩弘ら)とバンドを結成し、自作曲(主に詩を担当)を披露し、ライブハウスON AIR WEST(現O-WEST)でライブも行っていた。
藤井フミヤ&憲武とヒロミ
配信「友よ」(2015年6月3日 - 、フジメロ) - フジテレビ「ノリタケ・フミヤ・ヒロミが行く! キャンピングカー合宿?出会い・ふれあい・幸せ旅?」番組テーマソング
ヒロミと八王子会 コラボソング
配信 YouTube 『八王子のうた』(作詞:ヒロミ・はなわ、作曲:はなわ、サウンドプロデュース:小林俊太郎)feat.アンジャッシュの児嶋一哉、THE YELLOW MONKEYの菊地英昭、菊地英二、ファンキー加藤、マキシマムザホルモン、高橋みなみ、はなわ、KICK THE CAN CREWのLITTLE
受賞歴
2015年、第28回小学館・DIMEトレンド大賞「特別賞」[17]
2015年、「リカベニストアワード2015」受賞[18]
レーシングドライバーとして
レーシングドライバーの経験もあり、スーパー耐久、SUPER GTなど、主にツーリングカーレースを主体に活動していた。
2001年、ネッツカップ・アルテッツァシリーズに参戦した2002年、脇阪寿一と脇阪薫一と共にスーパー耐久にオーナー兼任で参戦している[19]。
2003年、GC-21に参戦した[20]。
2004年には、保阪尚希、岩城滉一らとレーシングチーム(フィールズレーシングチーム)を結成。
全日本GT選手権(JGTC、現SUPER GT)には、2004年はチーム外国屋から参戦したが、予選の基準タイムを通過出来ない時もあり、本戦でのリタイアも多く、ポイントを獲得できなかった。2年後の2006年にもジムゲイナーレーシングから再び参戦したが、フル参戦しているチームとしては唯一、ノーポイント(入賞なし)でシーズンを終える。
2005D1GPお台場エキシビジョンマッチにゲストとして審査員を務めた。本人もD1に興味を持って密かに練習し、レース関係者を集めたORCオールスタードリフトドリームマッチに毎年参戦していた。
2007年以後はしばらくレース活動を控えていたが、2013年には哀川翔率いる「FLEX FEDERAL SHOW AIKAWA Racing」からアジアクロスカントリーラリーに参戦し、久々にレース活動を再開した。同ラリーでは途中、トラブルやガス欠によるビバークに遭いながらも、総合14位で完走した[21]。
エピソード
B21スペシャルでデビュー当時、横山やすし司会の『ザ・テレビ演芸』にてコントを披露し、関西弁を少しバカにするようなツッコミを入れた際、横山からネタ中に乱入され「なめとんか!」と蹴られたものの、ヒロミは「この人、何なんだろう」と当惑。アドリブで「おじさん、ちょっとそっち座ってな」と言ってコントを続行しようとしたところ、「お前いい根性しとる」「お前、おもろい」と気に入られた。そこから10週勝ち抜き、審査員が選ぶ前にその前にやすしが『お前の勝ちや』と言い、それで勝利が決まっていた。その後も、やすしから気に入られ、食事を奢られる程。
八王子出身者から慕われており、八王子会の代表を務めている。メンバーはフワちゃん、ROLAND、児嶋一哉(アンジャッシュ)、菊地英昭・英二兄弟(THE YELLOW MONKEY)、ファンキー加藤(FUNKY MONKEY BΛBY'S)、マキシマム ザ ホルモンの4人、高橋みなみなどがいる。基本的に芸能界に八王子出身者なら誰でも入れるので、正確な入会者は不明だが、この他にもメンバーはまだまだいるとの事。しかし、渡部建(アンジャッシュ)は入会拒否されており、その後に渡部の不倫騒動が発覚し、予言していたのではないかと噂が広まった。またヒロミの妹が渡部の相方・児嶋一哉と同級生である縁でヒロミに弟子入りを頼んだが、弟子は取っていなかったため、当時ヒロミが所属していた人力舎の養成所が設立されるとの事で、養成所を勧め紹介した。
20代前半から木梨憲武と藤井フミヤとは、家族ぐるみで非常に仲が良く、「親友」「親戚」と語っており、3人の番組もやっていた。
父親は鹿児島県出身であり、浜田雅功(ダウンタウン)の父親と同級生であった[22]。鹿児島で父親同士が同窓会のために帰郷した際、その会合の席で家族の話題を出したときに互いの息子が芸能界で活動していることが判明したという[22]。
同じ第三世代としてダウンタウンやウッチャンナンチャンなど、不仲説など囁かれたが、実際には浜田雅功や内村光良などと一緒にゴルフや食事などよく行っていた。浜田とは2人で司会の番組などもある。誕生日が出川哲朗と南原清隆と同じ2月13日である。
TOKIOの松岡昌宏は自身のラジオ番組で、最も影響を受け、師匠と呼べる人はにヒロミを挙げている。『?なのよ』など、喋り方はヒロミに影響を受けている。10代の頃になりたいポジションの芸能人を考えた時、一番なりたかったポジションがヒロミであり、ヒロミの様な人になりたかったと語っている。中居正広もバラエティ番組で憧れの存在にヒロミを挙げている。[23]
当時、司会を務めていた『パラダイスGoGo!!』(フジテレビ)のコーナー「わくわくパンクカラオケ選手権」では、素人ゲストが観客席に飛び込み乱闘騒ぎになった際、これ以上は危ないと察知し、司会自らが乱入し、乱闘を止めた。
B21の冠番組『1or8』内の企画「ヒロミ宇宙に行く」で背中に背負った大量のロケット花火の火花が下半身に当たって大火傷し、生死を彷徨い退院後の初めてのコメントは『地球は青かった』である。
森繁久彌、三橋達也、三船敏郎で立ち上げられた、芸能・文化人射撃愛好会『芸能文化人ガンクラブ』初代会長の森繁久彌に代わり、2代目会長の高木ブーが会長職を退任し顧問となり、現在はヒロミが3代目会長職を引き継いでいる。
12年ぶりにトーク場組『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した際、過去に黒柳徹子に向けた毒舌を謝罪した。当時、クイズ番組の本番中にヒロミは「うるせえなババア」と発言し、黒柳は「私ね、テレビに出て初めて、クイズの隣にいらした方から、私は何も言わないのに『うるせえなババア』と言われてね。本当のババアにババアって言ってどうするって思った」と今では冗談混じりに語っている。