ヒューストン
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テキサス州内陸部各地からの鉄道はヒューストンで合流し、ガルベストンボーモントの港へと通じていた。南北戦争中、ジョン・B・マグルダー将軍はガルベストンの戦いにおいてヒューストンを隊の集合地とし、市内には同将軍の司令部が置かれた[12]。南北戦争が終結すると、ヒューストンの実業家たちは市の中心部とガルベストン港との間での商業を活性化させるため、イニシアチブを取ってバイユー網の拡張に努めた。

1900年ガルベストン・ハリケーンが上陸してガルベストンの港町が壊滅的な被害を受けると、内陸のヒューストンにより安全な、水深の深い、近代的な港を造る機運が高まった[13]。翌1901年、ボーモントの近くのスピンドルトップ油田石油が見つかると、ヒューストンでは石油産業が興った[14]。さらにその翌年、1902年には、当時の大統領セオドア・ルーズベルトヒューストン港運河、ヒューストン・シップ・チャネルの整備費用100万ドル(当時)の計上を承認した。掘削に7年の歳月を費やした後、1914年、大統領ウッドロウ・ウィルソンはヒューストン港を開港した。1930年には人口292,352人を数え、サンアントニオダラスを抜いてテキサス州最大の都市になった[15] ヒューストンのダウンタウン、1910年

第二次世界大戦が開戦すると、ヒューストン港の貨物取扱量は減少し、積降は保留とされるようになった。しかし、戦争需要から市の経済はむしろ活性化した。戦時中の石油化学製品や合成ゴムの需要増加に対応するため、シップ・チャネル沿いには石油化学工場や製造工場が建設された[16]。地元の造船業も増産し、市の成長を促した[17]。経済成長をエリントン・フィールド空港は、もとは第一次世界大戦の最中に設置されたものであったが、航空士や爆撃手の上級訓練センターとして生まれ変わった[18]1945年、M.D.アンダーソン財団はテキサス医療センターを設置した。第二次世界大戦の終結とともに、ヒューストンの経済は再び港湾中心に戻った。1948年、近隣の所属未定地を合併したことにより、ヒューストンの市域はそれまでの2倍以上になり、地域全体にわたって広がり始めた[9][19]1950年代に入り、エアコンが普及し始めると、蒸し暑いヒューストンの夏も快適に過ごせるようになり、多くの企業がヒューストンに移転してきた。その結果、ヒューストンの経済は高度成長期を迎え、エネルギー産業を中心とした経済に移行していった[20][21]1961年には有人宇宙船センター(1973年ジョンソン宇宙センターに改称)が設置され、ヒューストンには航空宇宙産業が興った。

1970年代に入ると、北部のラストベルトから南部のサンベルトへの人口と産業の移動が始まり、ヒューストンの人口は急増した[22]1973年第一次オイルショック原油価格が高騰すると、大量消費型の製造業を中心としていた北部の工業都市が軒並み衰退する一方で、産油地であるヒューストンは潤い、石油産業を中心に創出された雇用を求めて大量の住民が移入してきた。しかし、1980年代中盤に入ると原油価格が暴落し、経済は沈滞、人口増加のペースも鈍化した。そこに1986年チャレンジャー号爆発事故が追い討ちをかけ、航空宇宙産業も打撃を受けた。アメリカ経済そのものの低迷もヒューストンの地域経済に影響を及ぼした。その教訓から1990年代以降、ヒューストンは経済の多様化に努め、航空宇宙産業やバイオテクノロジーといったハイテク分野に力を入れることで石油化学産業への依存度を減らしてきた。

2021年2月、テキサス州を大寒波が襲い停電を伴う電力危機(テキサス州電力危機)が発生。ヒューストンでは一般家庭の電気供給に支障を来したほか、浄水場からの水圧が低下や凍結がいたるところで発生して上水道の供給がままならなくなった。浄水場の機能に関連したトラブルは、翌年の2022年11月27日にも発生、数日間にわたり水道水を沸騰させてから使用するよう利用者に通告がなされた[23]
地理
地形バッファロー・バイユー

アメリカ合衆国統計局によると、ヒューストン市の総面積は1,558.4km2(601.7mi2)である。そのうち1,500.7km2(579.4mi2)が陸地で57.7km2(22.3mi2)が水域である。総面積の3.70%が水域になっている。ダウンタウンの標高は約15mである[24]。市の最高点はダウンタウンから遠く離れた北西部にあるが、それでも標高は約38mにとどまる[25][26]

ヒューストン地域の大部分はメキシコ湾西岸草原地帯に属する。その植生は亜熱帯性の森林および草原に分類される。市の大部分は森林、湿地、沼地、草原を切り開いて建設された。同じメキシコ湾岸の低湿地に位置するニューオーリンズほどではないものの、土地が低く平坦で、かつ市街地のスプロール化が進行しているヒューストンは、洪水の被害に見舞われやすい[27]。かつては水道水源を地下水に頼っていたが、地盤沈下を引き起こしたため、ヒューストン湖やコンロー湖などの地表水を用いるようになった[9][28]

バイユー・シティの別名が示す通り、ヒューストン市内にはバイユーと呼ばれる小川がいくつも流れている。中でも最大のバッファロー・バイユーは、ヒューストン西郊のケイティに源を発し、ヒューストンのダウンタウンを東西に貫いて流れ、ヒューストン港のヒューストン・シップ・チャネルに注ぐ。ヒューストン・シップ・チャネルは南東へ続き、ガルベストンでメキシコ湾に注ぐ。
気候

ヒューストン
雨温図説明

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  86 176  81 198  86 2311  84 2615  130 3020  150 3323  97 3424  97 3524  104 3221  145 2816  109 2311  94 187
気温(°C)
総降水量(mm)
出典: ⇒Weatherbase.com

インペリアル換算
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  3.4 6343  3.2 6647  3.4 7352  3.3 8059  5.1 8668  5.9 9173  3.8 9475  3.8 9475  4.1 9070  5.7 8261  4.3 7352  3.7 6445
気温(°F)
総降水量(in)

2004年のクリスマスイブ、雪中のトリニティ・チャーチ。この日にメキシコ湾岸を襲った雪嵐により、ヒューストンでは市史上初のホワイト・クリスマスとなった。

ヒューストンはケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)に属するが、実際には亜熱帯と呼ばれる、熱帯温帯の中間にあたる気候である。春の雷雨は竜巻を伴うこともある。1年を通じて南から南西寄りの風が吹き、メキシコの砂漠地帯からの熱気とメキシコ湾からの湿気をヒューストンとその周辺地域にもたらす。

ヒューストンの夏の日中の気温は摂氏30度を上回ることが常である。


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