このようにヒューストンは工業都市・ビジネス都市としてのイメージが強い都市であるが、文化水準の高い都市でもある。ダウンタウンの南側には10以上の博物館・美術館が建ち並び、年間700万人の訪問者を呼び寄せるミュージアム・ディストリクトがある。ミュージアム・ディストリクトに隣接するエリアには、全米の総合大学の中で常にトップ25位以内の高評価を受けている名門私立大学、ライス大学のキャンパスが広がっている。一方、ダウンタウンの中心部に位置するシアター・ディストリクトはヒューストンにおける演技芸術の中心地で、演劇のみならず、オペラ・オーケストラ・バレエなど多彩な演技芸術の公演が行われている[6]。
ジョンソン宇宙センターの存在から、ヒューストンには1967年にスペース・シティ(宇宙の街)という公式な別名が付けられた[7]。地元住民はこの他にバイユー・シティ(バイユーの街)、マグノリア・シティ(マグノリアの街)、H・タウンなどと呼ぶこともある。
歴史サミュエル・ヒューストン
1836年8月にニューヨークの不動産起業家のオーガストゥス・チャップマン・アレンとジョン・カービー・アレンの兄弟はバッファロー・バイユー周辺のこの地に都市を創設すべく、6,642エーカー(約27平方キロメートル)の土地を購入した[8]。サンジャシントの戦いで名を馳せた将軍で、その年の9月にテキサス共和国の大統領に選出されたサミュエル・ヒューストンの名を取って、アレン兄弟はこの都市をヒューストンと名付けることを決定した[8]。ヒューストンは翌1837年6月5日に市制を施行し、ジェームズ・サンダース・ホルマンが初代市長に就任した[9]。またその年、ヒューストンはテキサス共和国の暫定首都及びハリスバーグ郡(現ハリス郡)の郡庁所在地となった[10]。1840年、バッファロー・バイユーに建設された新しい海港における貨物の積降や水上交通のビジネスを活性化させるため、ヒューストンには商業局が設置された[11]。
1860年頃にはヒューストンは綿花の集積地・輸出拠点として栄え、商業や鉄道交通が発展した[10]。テキサス州内陸部各地からの鉄道はヒューストンで合流し、ガルベストンやボーモントの港へと通じていた。南北戦争中、ジョン・B・マグルダー将軍はガルベストンの戦いにおいてヒューストンを隊の集合地とし、市内には同将軍の司令部が置かれた[12]。