ヒューゴー賞
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ファンキャスト部門のノミネート資格は、これまでに少なくとも4エピソードを配信しかつ対象年に1エピソードを発表したオーディオ・ビデオ配信物で、かつ「プロ」に該当しない場合である。

過去に存在したヒューゴー賞の常設部門

部門名期間対象、備考
商業誌部門 (Best Professional Magazine)1953年 ? 1972年1973年より編集者部門に改編
Best Original Art Work1990年、
1992年 ? 1996年アートワーク

過去に個別のワールドコンで贈られたことのあるヒューゴー賞の部門

部門名期間備考
カバーアーティスト部門
(Best Cover Artist)1953年
挿絵イラストレーター部門
(Best Interior Illustrator)1953年
Excellence in Fact Articles1953年ノンフィクション作品・記事の執筆者
Best New SF Author or Artist1953年新人作家またはアーティスト
#1 Fan Personality1953年ファン
Best Feature Writer1956年雑誌への執筆者
Best Book Reviewer1956年書評の執筆者
Most Promising New Author1956年新人作家
Outstanding Actifan1958年ファン
Best New Author1959年新人作家
Best SF Book Publisher1964年、1965年出版社
Best All-Time Series1966年
アイザック・アシモフファウンデーション」3部作が受賞した
Other Forms1988年小説4部門に当てはまらない、印刷されたフィクション作品
Best Web Site2002年、2005年ウェブサイト
Best Art Book2019年アートブック
Best Video Game2021年ビデオゲーム

選出方法

ヒューゴー賞は、ワールドコンに登録したファンの投票によって決定される。ワールドコンの登録カテゴリは複数あるので、大会会場への入場権がない比較的安価なカテゴリでも投票権を得られる。

投票は2回に分けて行われる。まず、1月から3月に最終候補を決めるための「予備投票」が行なわれる。有権者は前年と当年のワールドコン登録者である。

こうして4月に発表される最終候補を対象として、受賞を決める「本投票」が当年のワールドコン登録者によって行われる。本投票では優先順位付投票制を採用している。

なお、予備投票および本投票の票数と集計結果は、受賞作発表後に公開される。2017年時点での本投票での投票数ベスト3は2015年の5950票、2014年の3587票、2017年の3319票である[10]

候補からは辞退することができる。辞退や発表後に欠格が判明した場合は、次点が繰り上がる[11]
予備投票制度

2016年まで、投票者は各部門ごとに最大5作に投票し、得票数を単純集計した上位5作を最終候補としていた。だが予備投票では投票先が分散しやすいため、2015年・2016年に少数の組織票が最終候補枠を独占するという問題が起こった。これを解決するため、2017年から新たな予備投票制度が採用された。概要は以下の通りである[12]
予備投票では最下位の作品から脱落させていくが、脱落した作品の得票を、同じ投票者の他の投票先に振り分ける。

予備投票の最大投票先は一人5作のまま変わらないが、最終候補は6作とする。

従来存在した5%足切り条項の廃止(確実に最終候補が6作以上になるようにする)。

同じ人物・集団・映像シリーズの作品については、ひとつの部門で最大2作しか最終候補としない。

この方式の提案者たちは主なメリットとして、これまでと投票の手間が変わらず、多様性と公平性を担保したうえで、組織票による候補独占という事態を防げることなどを挙げている[13]。なお、1については専門的にはSDV-LPE(single divisible vote with least popular elimination)方式と呼ばれる。

この方式では組織票かどうかを恣意的に判定する危険がなく、また試算によれば組織票が問題化する以前の予備投票結果ともほぼ一致する。一方で、組織票リストの作品はたいていリスト中の一つしか残らなくなり、最終候補枠を独占するようなケースはほぼなくなる。また、充分に得票した作品を組織票だからという理由だけで排除することもない。加えて、最終候補にならなかった作品に投じた票が死票になりにくい、という利点もある。
「受賞なし」

本投票において最終候補のいずれも受賞に値しないと考える場合、投票者はただ棄権するのではなく、積極的に「受賞なし」に投票することもできる。「受賞なし」という結果になる場合は、2通りある。
まず、「受賞なし」を他の候補と同等の選択肢とみなして開票する。ここで「受賞なし」が1位になった場合は、そのまま「受賞なし」で確定する。

「受賞なし」以外の候補が1位になった場合で、全投票を再集計して「その候補よりも“受賞なし”を下位にした投票数」が「その候補よりも“受賞なし”を上位にした投票数」を下回る場合は、「受賞なし」となる。

「受賞なし」はいくつかの実例がある。1977年の映像部門[14]の後、40年近く「受賞なし」という結果が出たことはなかったが、組織票問題に揺れた2015年は、全16部門中5部門が「受賞なし」という結果になった[15]
歴史
1950年代

第1回のヒューゴー賞は1953年、フィラデルフィアで開催された第11回ワールドコンにおいて授与された。この時は全7部門であった[16]。当時のワールドコン実行スタッフはこの賞が継続されることを望んでいたが、元々はこの年1回限りのイベントとして構想されたものである。当時のワールドコンは、それぞれの実行委員会が回ごとに独立して運営するイベントであり、継続的に監督されてはいなかった。そのため、翌年以降のワールドコンにはヒューゴー賞を実施する義務はなく、そのための方法を定める規則もつくられなかった。

1954年のワールドコンではヒューゴー賞は実施されなかった[17]が、1955年に復活し、以来毎年の恒例行事となった。当初の正式名称は「年次SF功労賞(the Annual Science Fiction Achievement Award)」で、「ヒューゴー賞」は非公式ニックネームだったが、後者のほうがよく知られていた[18]。1958年に「ヒューゴー賞」は別名称として公式認定され、1992年からは正式名称となった[19][20]

1959年、賞を運営する公式なガイドラインはいまだに存在しなかったが、のちに引き継がれるいくつかの規則が制定された。候補作を決定するための予備投票を本投票とは別に行なうこと、前暦年に出版された作品を対象とすること(それ以前は「前年」だった)、選択肢に「受賞なし」を加えること(この年には2部門で「受賞なし」となった)、などである[21]
1960年代

1961年、各回のワールドコン実行委員会を監督するワールドSFソサエティー(WSFS)が結成されると、賞の公式規則をWSFSで定め、各回のワールドコン実行委員会の責任において賞を授与することが義務づけられた。この規則では、受賞作を決定する投票権者は各ワールドコンの参加者のみに限定されていたものの、候補作選出には自由に参加できることとなっていた(1963年のワールドコンで、候補作選出投票はその回と前回のワールドコン参加者のみに限定された)。

また、この公式規則では常設の受賞部門も定められ、これを変更できるのはWSFSのみとされた[22]。1961年の部門は長編部門、短編部門、映像部門、商業誌部門、プロアーティスト部門、ファンジン部門だった[23]

1964年、各回のワールドコンが個別に、追加の特別部門(最大2部門)を制定できるように公式規則が改定された。これらの追加部門は正式なヒューゴー賞に含まれるが、翌年以降も継続する義務はないとされた[24]。のちに追加部門は1部門までと改定された。特別部門の例は数多いが、年に1部門より多かったことは数回しかない[25]

1967年に中編(ノヴェレット)部門、ファンライター部門、ファンアーティスト部門が追加され、1968年に中長編(ノヴェラ)部門が追加された。これによって小説部門の長さによる区別が明記された(中編部門は1955年から断続的に行われていたが、長さの判断は投票者に委ねられていた)[26][27]。ファン関連の2部門は(ヒューゴー賞ファンジン部門も廃止・統合したうえで)ヒューゴー賞とは別の賞とする構想もあったが、ヒューゴー賞の常設部門となった。
1970年代

慣例的に各部門の最終候補はそれぞれ5作とされていたが、1971年に公式規則が定められ、同数得票作の除外基準が明記された[21]。1973年、WSFSは商業誌部門を廃止し、代わりに編集者部門(Best Professional Editor)を設置した。これは「書き下ろしアンソロジーの重要性が増しつつある」ことを反映した判断だった[28][29]

1974年の規則改定では、常設部門という概念が廃止され、各回において最大10部門を設置すること、ただしそれらは前年のカテゴリーと似たものにすること、とされた。しかしこれによって追加・廃止された部門はなく、1977年には常設部門を明記するように規則が再改定された[21][30]
1980年 - 1990年代

1980年に関連書籍部門が、1984年にはセミプロジン部門が追加された[31][32]。1990年には特別部門としてオリジナルアートワーク部門が実施された。同部門は1991年にも行われ(ただし受賞作はなかった)、1992?1996年は常設部門となった[20][33][34]

1990年代中盤にはレトロ・ヒューゴー賞が制定された。
2000年代以降

2003年、映像部門(Dramatic Presentation)が長編(Long Form)と短編(Short Form)に分割された[35]


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