ヒューゴー・ガーンズバック
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ちょうどアマチュア無線の電波が海軍局に混信を与えることが大きな社会問題となり始めた頃であり、WAOAのガーンズバックとド・フォレスト会長は、短波帯にいたアマチュアたちが、海軍局や商業局が使う低い周波数に降りてくることを自粛し、無益なトラブルを避けるべきだと指導していた[14]

1909年5月、ガーンズバックはWAOAよりコールブック(無線局名録)"Wireless Blue Book" を出版した。全世界の無線局名録としては米国海軍省が1906年より毎年発行しているが、民間組織による発行はこれが最初である。またWAOAのものにはアマチュア局も収録されており、アマチュア無線のコールブックとしても世界最古のものである。

1909年12月に電波を国家管理するロバーツ法案が提出されたが、これにはアマチュア無線の禁止が含まれていたため、ガーンズバックが反対運動を始めた[15]。軍用局や商業局へ混信を与える「学生小児実験家」(アマチュア無線家)を締め出す法案と、それに反対するガーンズバックの様子が、日本の逓信省職員の機関誌ともいえる『通信協会雑誌』で伝えられている[16]。これが、アマチュア無線というものが日本に伝えられた最初だった。
SF作家・雑誌編集者ガーンズバックの2作目の小説『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』は、1928年に『アメイジング』誌に連載され、2月号の表紙を飾った。ガーンズバックの短編小説『コスマトミック・フライヤー』は、Greno Gashbuckの別名で、1953年にガーンズバックの『サイエンス・フィクション・プラス』誌の創刊号の表紙を飾った。ガーンズバックの10年にわたるSF雑誌の出版は、1936年の『ワンダーストーリーズ』の最終号で幕を閉じた。1950年代に短期間携わった『サイエンス・フィクション・プラス』を除けば、彼がその仕事に戻ることはなかった。

『モダン・エレクトリックス』誌(1911年4月号)で予定していた記事が入稿されない事態が起き、そのページを埋めるために、編集者であるガーンズバック自身が執筆したのが、近未来SF小説『ラルフ124C41+ ──2660年のロマンス』であった。これが評判となり、1年間の連載となった。のちの1926年、ガーンズバックは世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊した。同誌は、過去の優れたSF作品の再録や投書欄、読者の作品コンテストが人気を集めた。これによりガーンズバックは、“アメリカSFの父”“現代SFの父”と呼ばれるようになった。

1925年にはラジオ局WRNYを設立し、マンハッタンのルーズベルト・ホテルの18階から放送していた。1928年にはテレビ放送を行い、世界初のテレビ局の1つとなった。

ガーンズバックは資産があったが、事業としてニューヨーク初のテレビ放送の実験を行ったり自分の給料を高くする一方で、作家や商売相手への支払いが遅れていた。1929年に印刷所と紙問屋から訴えられ、『アメージング・ストーリーズ』などを出版していたエクスペリメンター出版は破産し、人手に渡った。ガーンズバックはすぐに新しい会社・ガーンズバック出版を設立し、『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』など新しいSF雑誌を3つ、無線雑誌『ラジオクラフト』を立ち上げた[17]

ガーンズバックは1930年に『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』と『エア・ワンダー・ストーリーズ』を合併させて『ワンダー・ストーリーズ』を創った。『アメージング・ストーリーズ』同様に、投書欄に誌面を大きく取り、SFファンの活動を発展させた。しかし、後発のSF雑誌『アスタウンディング』が発展するにつれ、『ワンダー・ストーリーズ』の読者は減少していった。さらに、原稿料の安さや支払いの遅さといった問題があり、作家のドナルド・A・ウォルハイムらにより訴えられた。1936年にガーンズバックは『ワンダー・ストーリーズ』を売却し、SFから離れて無線雑誌『ラジオ=クラフト』(後に『ラジオ=エレクトロニクス』に改題)と、1933年に創刊した性教育に対する科学的取り組みを扱った雑誌『セクソロジスト』の2つに注力していった[18]

1953年、世界SF大会にてSF功労賞(1993年にヒューゴー賞と改名)が創設され、1960年にはガーンズバック自身に特別賞が贈られた[19]
私生活

1906年にはRose Harvey、1921年にはDorothy Kantrowitz、1951年にはMary Hancherと3度結婚した。

1967年8月19日、ニューヨークのルーズベルト病院(現在のマウント・サイナイ・ウェスト病院(英語版))で死去した[20]
作品リスト

Ralph 124C 41+ (1911年)

川村哲郎訳『ラルフ124C41+』早川書房〈ハヤカワ・SF・シリーズ〉、1966年

中上守訳「ラルフ124C41+」『世界SF全集 4 ガーンズバック テイン』早川書房、1971年、所収


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