ヒューゴー・ガーンズバック
[Wikipedia|▼Menu]
軍用局や商業局へ混信を与える「学生小児実験家」(アマチュア無線家)を締め出す法案と、それに反対するガーンズバックの様子が、日本の逓信省職員の機関誌ともいえる『通信協会雑誌』で伝えられている[16]。これが、アマチュア無線というものが日本に伝えられた最初だった。
SF作家・雑誌編集者ガーンズバックの2作目の小説『ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険』は、1928年に『アメイジング』誌に連載され、2月号の表紙を飾った。ガーンズバックの短編小説『コスマトミック・フライヤー』は、Greno Gashbuckの別名で、1953年にガーンズバックの『サイエンス・フィクション・プラス』誌の創刊号の表紙を飾った。ガーンズバックの10年にわたるSF雑誌の出版は、1936年の『ワンダーストーリーズ』の最終号で幕を閉じた。1950年代に短期間携わった『サイエンス・フィクション・プラス』を除けば、彼がその仕事に戻ることはなかった。

『モダン・エレクトリックス』誌(1911年4月号)で予定していた記事が入稿されない事態が起き、そのページを埋めるために、編集者であるガーンズバック自身が執筆したのが、近未来SF小説『ラルフ124C41+ ──2660年のロマンス』であった。これが評判となり、1年間の連載となった。のちの1926年、ガーンズバックは世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊した。同誌は、過去の優れたSF作品の再録や投書欄、読者の作品コンテストが人気を集めた。これによりガーンズバックは、“アメリカSFの父”“現代SFの父”と呼ばれるようになった。

1925年にはラジオ局WRNYを設立し、マンハッタンのルーズベルト・ホテルの18階から放送していた。1928年にはテレビ放送を行い、世界初のテレビ局の1つとなった。

ガーンズバックは資産があったが、事業としてニューヨーク初のテレビ放送の実験を行ったり自分の給料を高くする一方で、作家や商売相手への支払いが遅れていた。1929年に印刷所と紙問屋から訴えられ、『アメージング・ストーリーズ』などを出版していたエクスペリメンター出版は破産し、人手に渡った。ガーンズバックはすぐに新しい会社・ガーンズバック出版を設立し、『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』など新しいSF雑誌を3つ、無線雑誌『ラジオクラフト』を立ち上げた[17]

ガーンズバックは1930年に『サイエンス・ワンダー・ストーリーズ』と『エア・ワンダー・ストーリーズ』を合併させて『ワンダー・ストーリーズ』を創った。『アメージング・ストーリーズ』同様に、投書欄に誌面を大きく取り、SFファンの活動を発展させた。しかし、後発のSF雑誌『アスタウンディング』が発展するにつれ、『ワンダー・ストーリーズ』の読者は減少していった。さらに、原稿料の安さや支払いの遅さといった問題があり、作家のドナルド・A・ウォルハイムらにより訴えられた。1936年にガーンズバックは『ワンダー・ストーリーズ』を売却し、SFから離れて無線雑誌『ラジオ=クラフト』(後に『ラジオ=エレクトロニクス』に改題)と、1933年に創刊した性教育に対する科学的取り組みを扱った雑誌『セクソロジスト』の2つに注力していった[18]

1953年、世界SF大会にてSF功労賞(1993年にヒューゴー賞と改名)が創設され、1960年にはガーンズバック自身に特別賞が贈られた[19]
私生活

1906年にはRose Harvey、1921年にはDorothy Kantrowitz、1951年にはMary Hancherと3度結婚した。

1967年8月19日、ニューヨークのルーズベルト病院(現在のマウント・サイナイ・ウェスト病院(英語版))で死去した[20]
作品リスト

Ralph 124C 41+ (1911年)

川村哲郎訳『ラルフ124C41+』早川書房〈ハヤカワ・SF・シリーズ〉、1966年

中上守訳「ラルフ124C41+」『世界SF全集 4 ガーンズバック テイン』早川書房、1971年、所収

他に、『27世紀の発明王』などの児童向け抄訳版もある。


Baron Munchhausen's Scientific Adventures (1915年)

小隅黎訳「ミュンヒハウゼン男爵の科学的冒険」『世界SF全集 4 ガーンズバック テイン』所収(抄訳)


脚注^ Siegel, Mark Richard (1988). Hugo Gernsback, Father of Modern Science Fiction: With Essays on Frank Herbert and Bram Stoker. Borgo Pr. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0-89370-174-2 
^ “Hugo Awards”. The Locus Index to SF Awards: About the Awards. Locus Publications. 2010年1月3日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
^http://www.fofweb.com/History/MainPrintPage.asp?iPin=AIE0103&DataType=AmericanHistory&WinType=Free


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef