ヒマラヤ山脈
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

氷河の下からバギーラティー川が流れ出す地点はゴームク(牛の口)と呼ばれ、標高3,892メートルである[3]。その後、下流でヒマラヤから流れ出したアラクナンダ川(英語版)と合流し、そこからガンジス川という名に変わる。アラクナンダ川のほうが長いが、ヒンドゥー教の文化や神話ではバーギーラティー川のほうが真のガンジスの源流であるとみなされている[4][5]。その後、リシケーシュで山脈から離れ、ヤムナー川と合流したあと、北インドヒンドスタン平原を南東に横切る。

ブラマプトラ川は、西チベットに発するヤルンツァンポ川が、チベットを東に流れ、アッサム平野を西に流れていく。ガンジス川とブラマプトラ川は、バングラデシュで合流し、世界最大のデルタ地形を形成して、ベンガル湾へ流れ出ている[6]

ヒマラヤ最東部の河川はエーヤワディー川を形成している。エーヤワディー川は東チベットから始まり、ミャンマーを南に縦断、アンダマン海に流れ込む。

サルウィン川メコン川、長江と黄河は、ヒマラヤ山脈とは地質学的に区別されるチベット高原から始まるため、本来はヒマラヤ山脈を水源とする河川ではないと考えられている。一部の地理学者は、ヒマラヤ外縁水系の川と分類している。

近年、ヒマラヤ山脈の全域で顕著な氷河後退現象が観測されているが、世界的な気候変動の結果であると考えられている[7]。この現象の長期的な影響は未知であるが、乾季の生活を氷河を水源とする北インドの河川に頼る数億の人々に甚大な影響を与えると見られている[8]
湖沼北シッキムに数百ある湖のうちのひとつ。この湖の高度は約5,000メートルである

ヒマラヤ山脈には何百もの湖が点在している。大部分の湖は5,000メートル未満の高度に存在し、高度が上がるとともに湖の規模は小さくなっていく。最大の湖はインドとチベットの境界に横たわるパンゴン湖で、4,600メートルの高度に位置し、幅8キロ、長さは134キロに及ぶ。高い標高を持つ湖沼のなかで顕著なものとしては、標高5,148メートルにある北シッキムのグルドンマル湖(英語版)がある。そのほかのおもな湖沼としてはネパール北部のマナン郡(英語版)にあるティリチョ湖(英語版)、シッキム州とインドシナの境界にあるツォンゴ湖(英語版)などがある。

氷河活動に起因する湖沼はタルン(英語版)と呼ばる。タルンは5,500メートル以上のヒマラヤ山脈の上部で見つかる[9]
気候への影響

ヒマラヤ山脈はインド亜大陸とチベット高原の気候に重大な影響を及ぼしている。ヒマラヤ山脈は非常に冷たく乾燥した北極風がインド亜大陸に南に吹きつけるのを防ぎ、南アジアをほかの大陸の同じ緯度の地域より温暖にしている。

ヒマラヤ山脈は北上するモンスーンを遮断し、テライ・ベルトで大量の降雨を発生させる原因となっている。この降雨はヒマラヤ南面のほとんどの地域にあり、雨季の大量の降雨はヒンドスタン平原に豊富な水をもたらしている。またこれによって中央アジアは降雨量が少なくなり、タクラマカン砂漠ゴビ砂漠を形成する原因となっている[10]

冬季になるとイランの方から激しい気流が発生するが、ヒマラヤ山脈はその気流を遮断、カシミール地方に降雪を パンジャブ州と北インドに降雨をもたらす。

またその気流の一部は一部がブラマプトラ川流域に流れ込み、インド北東部とバングラデシュの温度を下げる。この風が原因となり、これらの地方に冬季の間、北東モンスーンが起きる。
ヒマラヤのおもな地上交通ブンラ峠

ヒマラヤ山脈の地形は非常に険しく、人を容易に寄せつけないが、いくつかの道が存在する。
ヒマラヤ東部
ブンラ峠(英語版)によって、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州とチベットのツォナ県が結ばれている。ダライ・ラマ14世が1959年のインド亡命時に通ったルートでもある。
ナトゥ・ラ峠とジェレプ・ラ峠
ナトゥ・ラ峠ジェレプ・ラ峠は、シッキムのガントクとチベットのラサを結ぶルートであり、いずれもシッキム東部に位置している。また、ナトゥ・ラ峠はシルクロードの支道の一部であると考えられている。
チベットとネパールを結ぶルート
チベット側のニャラム県ダムとネパール側のシンドゥ・パルチョーク郡コダリ(英語版)の間には中尼友誼橋(中国語版、英語版)があり、中尼友誼橋によって中国のG318国道とネパールのアラニコ・ハイウェイ(英語版)が接続している。このほかに、チベットのディンキェ県ドンパ県とネパールのダウラギリ県ムスタン郡を結ぶルートがある。
ヒマラヤ西部
インド、ネパール、チベットの三国国境付近にはリプケーシュ峠(英語版)があるほか、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州とチベットのツァンダ県の境界にはシプキ・ラ峠(英語版)がある。
カシミール-チベット・東トルキスタンルート
カシミールスリナガルから、ラダックレーを経てチベットに至るルートで、国道1号線(英語版)に指定されている。インド側には自動車道の世界最高地点のカルドゥン・ラがある。またラダックの北端にはカラコルム峠があり、東トルキスタンとも結ばれていたが、いずれもインドと中国の政治問題のため、国境は閉鎖されている。
ヒマラヤの地政学と文化ザンスカール地方の僧院。日没を知らせる僧侶

巨大なヒマラヤ山脈は、何万年もの間人々の交流を妨げる障壁となった。特にインド亜大陸の民族と中国・モンゴルの民族が混ざり合うのを妨げ、これらの地域が文化的、民族的、言語的に非常に異なっている直接の原因となった。ヒマラヤ山脈は軍の進撃や通商の妨げともなり、チンギス・カンはヒマラヤ山脈のためにモンゴル帝国をインド亜大陸に拡大することができなかった。また、急峻な地形と厳しい気候によって孤立した地域が生まれ、独特の文化が育まれた。これらの地域では、現代でも交通の便が悪いため古い文化・習慣が根強く残っている。

ヒマラヤに大きな影響を与えているのは、北のチベット系民族と南のインド系民族である。山脈の大部分はチベット系民族の居住地であるが、南からやってきたインド系民族も低地を中心に南麓には多く住んでいる。チベット系民族の多くは山岳地域に住み都市文明を持たなかったが、ネパールのカトマンズ盆地に住んでいるネワール人は例外的に肥沃な盆地に根を下ろし、カトマンズパタンバクタプルの3都市を中心とした都市文明を築いた[11]。カトマンズ盆地は18世紀にインド系民族のゴルカ朝によって制圧されたが、ネワールは力を失うことなく、カトマンズなどではネワールとインド系の文化が重層的に展開した姿が見られる。カトマンズ以外のネパールはインドと文化的なつながりが強く、チベットともややつながりがあるが、中国文化圏との共通性はほとんどない。宗教的にも仏教徒は少なく、ヒンドゥー教徒が多く住む。これに対し、その東隣にあたるシッキムやブータンはチベット文化圏であり、住民は仏教徒がほとんどである。しかし19世紀以降、地理的条件の似ているネパールからの移民が両国に大量に流入し、シッキムにおいてはネパール系が多数派となり、ブータンにおいても一定の勢力を持つようになった。これは両者の対立を引き起こし、この対立が原因でシッキムは独立を失い、ブータンでも深刻な民族紛争が勃発することとなった。ヒマラヤ地域に広く分布するチベット民族は顔つきこそモンゴロイドだが中国文化圏との共通性は低く、インド文化圏とも共通性は少ない。チベットは古くからその孤立した地形によって独立を保ち、独自のチベット文化圏を形成している。

ヒマラヤ西部のパンジャーブ・ヒマラヤではイスラーム教圏の影響が強い。カシミールはイスラーム系住民が多数を占める地域である。カシミールの北にあるラダックは19世紀よりジャンムー・カシミール藩王国領となっていたが、もともとチベットとのつながりの深い地域であり、住民もチベット系民族であって宗教もチベット仏教である。その西はパキスタン領のバルティスターンであるが、この地域は歴史的にラダックとつながりが深く住民もチベット系であるが、宗教はイスラーム教であり、インド・パキスタン分離独立の際起きた第1次印パ戦争ではパキスタン帰属を選択した。
政治情勢インド、パキスタン、中国によって分割されたカシミール地区カルドゥン・ラ(Khardung La)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:67 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef