ヒマラヤ山脈
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この動きを見たブータン王国は自国のアイデンティティの強化に乗り出し、1985年には国籍法を改正するとともに、1989年には「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系住民の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などを実施して自国文化の振興に努めるようになったが、これはブータン南部に住むネパール系住民を強く刺激し、民族間の衝突が繰り返され多数の難民が流出することとなった[12]

一方、ネパールにおいては民主化運動によって1991年複数政党制が復活したものの、一向に進まない国土の開発に不満を持ったネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)が1996年に武力闘争を開始。さらに2001年6月1日にはネパール王族殺害事件が発生し、ビレンドラ国王が殺害されてギャネンドラ国王が即位した。ギャネンドラは専制的な政治スタイルをとって国勢の回復をめざしたが、国民の不満は高まる一方で、国土のかなりの部分をマオイストに征圧される事態となった。2006年には王制が打倒されて民主化され、マオイストとも和平が成立し、2008年には正式にネパールは共和国となった。
経済活動と登山ネパールのエベレスト街道をトレッキング中の観光客
農業

ヒマラヤは急峻な山岳地帯であり農業にあまり適した土地ではないが、北麓のチベット側ではヤクなどの牧畜オオムギの栽培などが行われている。また、ヒマラヤ南麓、特にネパールやブータンにおいてはモンスーン期に増水しすべてのものが押し流される河谷を避け、山腹の斜面に段々畑を作って農耕を行っている。
水力発電と利水

ヒマラヤから流れ下る川は氷河を水源とする豊富な水量を持ち、険しい地形のため落差が激しく、水力発電の膨大な潜在能力を持っている。源流の多くが存在するネパール・ブータン両国において水力発電の開発が盛んに行われ、特にブータンでは電力が主要な輸出品となっている[13]。2013年度のブータンの水力発電量は150万キロワットに及び、大型の原子力発電所1基分に相当するが、この数字はブータンの潜在水力発電量のわずか5%に過ぎず、ブータン政府はさらなる積極的な発電計画を推し進めている[14]。インドにおいても、2006年にはガンジス川上流にあるリシケーシュのさらに上流(バギーラティー川)に、2,400メガワットの発電量を得る目的などでテーリ・ダムが完成し、首都デリーの主要な水源となっている[15]。ヒマラヤからの河川でもっとも早く開発が進められたのはインダス川であり、パキスタン側にはタルベーラー・ダムやマングラー・ダムといった巨大ダムがヒマラヤ山脈西部に建設され、パンジャーブ州への灌漑用水を確保してこの地方を穀倉地帯とする一方、発電も行われている。また、ヒマラヤから流れ下る川の水源であるチベット高原を領有する中国もチベット開発を進める中でヤルンツァンポ川(ブラマプトラ川)の開発を進めており、2014年11月23日にはヤルンツァンポ川の本流にチベット初の大型水力発電所である蔵木水力発電所(英語版)を建設した[16]。このダム建設に対して、ブラマプトラ川の水を生命線とするインドのアッサムベンガル地方では強い懸念を示している[17]
観光と登山

近年では、世界最高峰エベレストに年間数百人が登頂するなど、ヒマラヤ各峰への登山が盛んとなっている。特に8,000メートル級の高峰が集中するネパールでは、登山や麓から山々を眺める観光が一大産業となっている。登山客が支払う入山料はネパール政府の貴重な収入源となっているが、この収入が地元住民たちにきちんと還元されていないとして不満も根強い。2014年2月には、ネパール政府はより多くの登山客の誘致を目的として入山料の大幅値下げを行った[18]。また最近、山脈中のトレッキングも盛んで、大ヒマラヤトレイルと称するトレッキング・ルートも徐々にではあるが整備されてきている。

ネパール政府は2014年、新たに104座の山への登山を解禁した[19]。一方でヒマラヤ山脈とその周辺には、急峻さや厳しい天候で登頂に成功していない未踏峰や、宗教・政治上の理由で登山が禁止されている山々も存在する。後者の例としては、ネパールではマチャプチャレ、ブータンではガンカー・プンスムが知られている。
宗教ラダックの峠にある典型的なタルチョストゥーパタクツァン僧院。「虎の巣」との異名でも知られている

ヒンドゥー教においては、ヒマラヤはヒマヴァット神として神格化されており、雪の神としてマハーバーラタにも記載されている。彼はガンガーとサラスヴァティーの2人の河の女神の父であり、またシヴァ神の妻であるパールヴァティーも彼の娘である[20]

ヒマラヤの各地には、ヒンドゥー教、ジャイナ教シーク教仏教イスラーム教の施設が点在している。著名な宗教施設としては、ブータンに初めて仏教をもたらしたパドマサンバヴァによって建設された僧院とされているパロタクツァン僧院などがある[21]

チベット仏教の僧院の多くは、ダライ・ラマの本拠を含むヒマラヤに位置している。チベットにはかつて6,000以上の僧院があった[22]チベット人イスラーム教徒もおり、ラサシガツェにはモスクが建設されている[23]
ヒマラヤ山脈に関連した作品
映画

白き氷河の果てに (
1978年、日本映画)

ゴールデン・チャイルド The Golden Child(1986年、アメリカ映画)

クンドゥン Kundun(1997年、アメリカ映画)

セブン・イヤーズ・イン・チベット Seven Years in Tibet(1997年、アメリカ映画)

レッド・マウンテン LOC-Kargil(2003年、インド映画)

きっと、うまくいく 3 Idiots(2009年、インド映画)

2012 (2009年、アメリカ映画)

ヒマラヤ?地上8,000メートルの絆?2016年、韓国映画)

エヴェレスト 神々の山嶺2016年、日本映画)

書籍

ブランシュ・クリスティーヌ・オルシャーク、アンドレアス・ゲルシュケ、アウグスト・ガンサー、 エミール・M・ビューラー著『ヒマラヤ - 自然・神秘・人間』(日本テレビ放送網、1989年、
ISBN 4-8203-8843-6

ゲーム

Far Cry 42014年ユービーアイソフト

脚注[脚注の使い方]^ “ ⇒Definition of Himalayas”. Oxford Dictionaries Online. 2011年5月9日閲覧。
^ 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』p594 平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
^ C. R. Krishna Murti; Ga?g? Pariyojan? Nide??laya; India Environment Research Committee (1991). The Ganga, a scientific study. Northern Book Centre. p. 19. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-81-7211-021-5. https://books.google.co.jp/books?id=dxpxDSXb9k8C&pg=PA19&redir_esc=y&hl=ja 2011年4月24日閲覧。


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