ヒポクラテス
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たしかに『ヒポクラテス全集』には、一部(『養生法』4,79,90各節)を除いて迷信的要素はないが、一方でヒポクラテス自身解剖学的、生理学的に誤りである四体液説を信じ、これに基づいた医療行為を行っていた[14][15][16]

古代ギリシアの医学は、クニドス派とコス派(ヒポクラテス派)の二つの学派に分かれていた。クニドス派は診断(diagnosis)を重視した。これはつまり、病気をくわしく分類し、身体のどこがどんな病気に罹ったを特定して治療する方法であるが、当時ギリシアでは人の体を解剖することがタブーとして禁じられており、医師は解剖学・生理学の知識をほとんど持っていなかったことから、結果としてクニドス派は診断を誤ることも多かったという[17]。一方、コス派は、予後(prognosis)を診断以上に重んじ、効果的な治療を施し大きな成果を上げた[18][19]。コス派は、季節・大気といった環境の乱れや食餌の乱れが体液の悪い混和をもたらし病気を引き起こすと考えたので、患部はつねに体全体であり、病気は一つであった[20]

19世紀以降の現代西洋医学は、ヒポクラテス説からは距離をおいたものとなっている。今日(西洋医学の)医師は診断で病名を特定し、それに対する専門の治療を行うことを重視しており、この2点は(結局)クニドス派の手法である。(19?20世紀になると、西洋医学では)考え方がヒポクラテスの時代とは異なったものに変化し、「良いことをするか、できなければ少なくとも悪いことをするな」というヒポクラテス派の考え方を、「消極的な診療」として批判する医師が増えた。フランスの医師ウダールは「ヒポクラテス派がやったことは、便、尿、汗などを調べ、その中に「消化」の兆候を探り、分利を告げ、死を宣告する、それだけではないか」とした[21][22]
体液病理説と分利詳細は「四体液説」および「en:Humorism」を参照

体液病理説とは、「人間の身体を構成する体液調和が崩れることで病気になる」とする説で、18世紀病理解剖学が生まれるまでは臨床医学の主流の考え方であり、その後も病態生理学の土台となった考えであった[23]。ヒポクラテス医学においては、『人間の自然性において』で示されるように、人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四体液をもち、それらが調和していると健康であるが、どれかが過大・過小また遊離し孤立した場合、その身体部位が病苦を病むとした。[24]。このほか、ヒポクラテス医学における重要な概念のひとつが分利(crisis)[注 2]である。分利とは、病気の進行における段階のひとつであり、この段階においては患者が病に屈して死を迎えるか、あるいは反対に自然治癒によって患者が回復するかのいずれかが起こる。また、病気が分利を経て一旦回復した後に再発した場合は、もう一度分利を迎えることとなる。分利は罹患して一定期間後にみられる「危篤日」に起こる傾向があることが分かるが、分利が「危篤日」から大きくずれて見られた場合は病気の悪化が懸念される。ガレノスはこれをヒポクラテスの考えであるとしたが、実際にはヒポクラテス以前から存在した可能性が指摘されている[25]2世紀、ガレノスの著作のビザンティン版に描かれたヒポクラテスのベンチ。巻き上げ機のついたロープで身体を引張り、背骨の歪みや骨折して骨が重なり合った状態を整復するために使われた。

ヒポクラテスの施す医術は、人間に備わる「自然治癒力ラテン語: vis medicatrix naturae)」、つまり四体液のバランスをとり治癒する自然("physis"ピュシス、「自然」の意)の力を引き出すことに焦点をあてたものであり、そのためには「休息、安静が最も重要である」と述べた[26]。さらに、患者の環境を整えて清潔な状態を保ち、適切な食餌をとらせることを重視した。例えば、創傷の治療には、きれいなワインだけを用いた。その他鎮痛効果のある香油もときに塗布薬として用いられた[27]

「一般」病理学に基づき「一般」治療を施すとの考え方から、ときには効き目の強い薬を使うこともあったという[28]が、基本的には患者に薬を投与したり、特定の治療法をとることはしないようにしていた[27][29]。こうした受動的、消極的な治療法は、比較的単純な疾患、例えば骨折の中でも骨格組織を牽引して損傷部位の圧迫を軽減する必要のある場合などには大変効果的であった。《ヒポクラテスのベンチ》や他の器具はこのような目的の為発明され使用された。

ヒポクラテス医学の強みのひとつに、《予後》を重視したことがあげられる。ヒポクラテスの時代には、薬物による治療は未発達であり、医師のできることといえば病気の程度を診断し、他の症例を参考にして病気の進行を予測することぐらいであった[16][30]
職業意識古代ギリシアの外科医療器具。左:トレフィン(冠状鋸)、右:メスのセット。ヒポクラテス学派の医者達はこれらの器具を有効に活用した[31]

ヒポクラテス学派は、厳格な職業意識、規律、厳しい訓練で有名であった[32]。『医師について』という文書では、医者というのは、身なりを整え、正直で、冷静で、理解に富み、真面目であることを推奨している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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