ヒトラー暗殺計画
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トレスコウらは引き続き、3月21日に予定された、ヒトラーのベルリン兵器保存館視察を狙い、ゲルスドルフ大佐を案内役に推薦し、彼に暗殺計画を託した[40]。彼は時限信管付き爆弾で、ヒトラーを道づれに爆死する決意をしたが、当日は視察をごく短時間で終わらせたため、ゲルスドルフはヒトラーに接近する機会が無くなり、暗殺は失敗した[41]
新装備展示会での暗殺計画

1943年12月16日、新しい軍服や装備品の展示会があり、軍服のモデルを務めるアクセル・フォン・デム・ブッシェ大尉(en:Axel von dem Bussche)が手りゅう弾を服に隠し持ち、ヒトラーと自分もろとも爆殺する予定だったが、当日ブッシェが着用する予定だった軍服が連合軍の空襲によって焼失し、展示会は無期延期となった[42]。ブッシェはその後、最前線への勤務となり、片足を失うなどの重傷を負ったものの、暗殺計画に加わっていたことは露見せず、粛清を生き延びた[42][43]
ブッシュ元帥副官による暗殺未遂

1944年3月11日、エーベルハルト・フォン・ブライテンブーフ大尉(en: Eberhard von Breitenbuch)が、ヒトラーの射殺を引き受ける[44]。彼は1943年夏からクーデター計画について知らされており、計画に賛同していた[44]。彼はエルンスト・ブッシュ元帥の副官で、一方のブッシュは熱烈なヒトラー支持者だった[44]。そのため、副官であるブライテンブーフが作戦会議中に拳銃を携帯していても、怪しまれる可能性が低く、射撃に長けていたブライテンブーフであれば、暗殺に成功するとみられていた[45]。作戦会議に参加する際には、自分の銃はクロークに預ける必要があったが、小型拳銃をズボンのポケットに隠しており、暗殺を決行しようとした[45]。しかし、作戦会議の出席者はブッシュ一人だけとされ、ブライテンブーフは入室が許されず、暗殺の機会を逃した[46]。会議終了後に、トレスコウからブライテンブーフの暗殺計画が漏れていたことを告げる[46]。ただし、ブライテンブーフに対する容疑が固まっていなかったため、逮捕されることなく見逃されていた[46]
シュペーアによる暗殺計画

1945年3月頃、軍需相のアルベルト・シュペーアは、ヒトラーのネロ指令に反逆し、ヒトラー暗殺を思い立つ[47]。シュペーアが考えていた暗殺方法は、総統地下壕の換気装置が、手の届く高さにあることに着目し、換気装置に毒ガスを注入するというものだった[48]。しかし、ある日換気装置が手の届かない高い場所に移され、警備が厳重になっており、暗殺を断念した[48]。シュペーアが暗殺をしようとしたことについては、シュペーアの回想録程度しか情報が無いため、信憑性には疑義が残る。
7月20日事件詳細は「7月20日事件」を参照

1944年6月に連合国軍がノルマンディー上陸作戦を成功させ、加えて東部戦線における赤軍の大攻勢により挟み撃ちとなったドイツの敗勢は明らかとなり、黒いオーケストラはヒトラーの排除計画を急ぐようになった。この頃になると、新たに国内予備軍一般軍務局局長フリードリヒ・オルブリヒト大将、陸軍通信部隊司令官エーリッヒ・フェルギーベル大将、ベルリン防衛軍司令官パウル・フォン・ハーゼ中将、参謀本部編成部長ヘルムート・シュティーフ少将、国内予備軍参謀長クラウス・フォン・シュタウフェンベルク参謀大佐など多くの将校がグループに加わっていた。

7月20日に東プロイセン総統大本営ヴォルフスシャンツェ会議室において、シュタウフェンベルクが爆弾を忍ばせた鞄を机の下に置き、爆発させた。室内の数名が死亡したものの、ヒトラーは軽傷を負ったのみで助かった。

ベルリンの国内予備軍司令部において、オルブリヒトらは「ヴァルキューレ」作戦を発動させ、ヒトラーの死亡と国防軍首脳部の人事刷新、戒厳令を発表し、各地の軍部隊にはSS、ゲシュタポの逮捕を指令した。

ベルリン中心部は首都警備大隊により占拠され、パリやウィーンにおいてSS将校が逮捕されたが、ヴォルフスシャンツェと軍部隊との連絡が回復されたこと、首都警備大隊長のオットー・エルンスト・レーマー少佐がヒトラーの生存を確認して鎮圧側に回ったことなどによりクーデターは失敗した。

黒いオーケストラの構成員の中で、シュタウフェンベルクらはクーデター決行の当日夜に処刑され、トレスコウなど何人かの将校は自殺した。その他のメンバーはそのほとんどが逮捕され、裁判にかけられ処刑された。事件に関係した反ナチス将校の処刑はドイツの敗北の直前まで続いた。
映画

ゲオルク・エルザーによる爆破事件を描いたもの

『ヒットラーを狙え!?独裁者 運命の7分間
』、クラウス・マリア・ブランダウアー監督、1989年

ヒトラー暗殺、13分の誤算』、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督、2015年


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