ヒトラー内閣
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ヘルマン・ムース国家社会主義ドイツ労働者党宗教省次官1941年 - 1945年宗教大臣代行[注釈 16]
軍需大臣

(1940年3月17日-1943年:兵器・弾薬大臣、
1943年-1945年:軍需・軍事生産大臣)1フリッツ・トート国家社会主義ドイツ労働者党突撃隊大将、空軍少将1940年 - 1942年2月8日(在任中に死去)
2アルベルト・シュペーア国家社会主義ドイツ労働者党帝国首都建設総監1942年 - 1945年
東部占領地域大臣(1941年12月17日新設)1アルフレート・ローゼンベルク国家社会主義ドイツ労働者党対外政策全国指導者1941年 - 1945年
帝国無任所大臣ヘルマン・ゲーリング国家社会主義ドイツ労働者党プロイセン自由州内務大臣→同州首相1933年(→経済大臣・航空大臣)
ルドルフ・ヘス国家社会主義ドイツ労働者党親衛隊大将、党副総統1933年 - 1941年
エルンスト・レーム国家社会主義ドイツ労働者党
退役陸軍大尉突撃隊幕僚長1933年 - 1934年(殺害)
ハンス・ケルル国家社会主義ドイツ労働者党突撃隊大将、
国会第一副議長1934年 - 1935年(→宗教大臣)
ハンス・フランク国家社会主義ドイツ労働者党司法全国指導者
ポーランド総督、
予備役陸軍少尉1934年 - 1942年
ヒャルマル・シャハト国家社会主義ドイツ労働者党前経済大臣、前ライヒスバンク総裁1937年 - 1943年
コンスタンティン・フォン・ノイラート国家社会主義ドイツ労働者党
男爵親衛隊大将、前外務大臣、ベーメン・メーレン保護領初代総督1938年 - 1945年
アルトゥール・ザイス=インクヴァルト国家社会主義ドイツ労働者党親衛隊大将、元オーストリア首相、オランダ国家弁務官1938年 - 1945年
マルティン・ボルマン国家社会主義ドイツ労働者党親衛隊大将、党官房長1941年 - 1945年
帝国大臣待遇
ヴィルヘルム・フリック国家社会主義ドイツ労働者党前内務大臣、
党国会議員団長、ベーメン・メーレン保護領2代総督1943年 - 1945年
コンスタンティン・ヒールル国家社会主義ドイツ労働者党名誉陸軍少将、
労働全国指導者兼任1943年 - 1945年
ハンス・ハインリヒ・ラマース国家社会主義ドイツ労働者党親衛隊大将
首相官房長兼任1937年 - 1945年

国務大臣

上述の大臣は「Reichsminister」(大臣、国家大臣、帝国大臣、ライヒ大臣などと訳される)と呼ばれる上級の大臣職であった。ドイツ政府にはこのほかに、イギリスの閣外大臣に相当する下位の大臣職が存在し、「Staatsminister」(国務大臣、国務相などと訳される)と呼ばれていた。この地位にあったことが確認されるのは下記の2名である。ただし彼らは「Staatsminister im Rang eines Reichsministers」つまり「閣僚待遇の国務大臣」と位置づけられていた。

職名代氏名所属政党担当部門備考
閣僚待遇国務大臣カール・ヘルマン・フランク国家社会主義ドイツ労働者党親衛隊大将ベーメン・メーレン保護領担当1943年8月20日就任
オットー・マイスナー国家社会主義ドイツ労働者党[注釈 17]指導者兼首相の大統領官房長1937年1月30日就任

ヒトラーの遺書による内閣「ヨーゼフ・ゲッベルス内閣」も参照

1945年、ヒトラーは自殺に先立って遺書(英語版)をしたため、自らの後継者としてデーニッツ海軍元帥を大統領に任命するとともに、デーニッツが率いるべき新政府の閣僚をすべて指名した。ただし、こうした内容を盛り込んだヒトラーの遺書は3通作られて総統地下壕から外部(デーニッツ宛、中央軍集団司令官フェルディナント・シェルナー元帥宛、ミュンヘンのナチ党文書館宛)に送られたものの、いずれも移送中に隠匿されてしまい、全文が知られるには終戦後の調査を待たなければならなかった。

従って、この遺書の中で当時に公表され、一応は任命が発効したといえるのは、ベルリンの総統官邸地下壕にいたゲッベルスとナチ党官房長マルティン・ボルマンがデーニッツに電報で知らせた部分、すなわち大統領デーニッツ、首相ゲッベルス、ナチ党担当大臣ボルマン、外務大臣ザイス=インクヴァルトの4名だけであった。さらに、大統領となったデーニッツはヒトラーの遺言による閣僚指名を黙殺し、自らの内閣としてフレンスブルク政府を組織した。

※( )内は任命当時の職

大統領・国防軍最高司令官・国防大臣・海軍総司令官 - カール・デーニッツ海軍元帥(海軍総司令官)

首相 - ヨーゼフ・ゲッベルス(国民啓蒙・宣伝大臣、ベルリン大管区指導者、総力戦全国指導者、ベルリン防衛総監)

ナチ党担当大臣 - マルティン・ボルマン(ナチ党官房長)

外務大臣 - アルトゥル・ザイス=インクヴァルト(無任所大臣・オランダ帝国弁務官

内務大臣 - パウル・ギースラーバイエルン州首相・ミュンヘン大管区指導者)

陸軍総司令官 - フェルディナント・シェルナー陸軍元帥(中央軍集団司令官)

空軍総司令官 - ローベルト・フォン・グライム空軍元帥

親衛隊全国指導者・ドイツ警察長官 - カール・ハンケニーダーシュレジエン大管区指導者)

経済大臣 - ヴァルター・フンク(経済大臣・国立銀行総裁)※留任

食糧大臣 - ヘルベルト・バッケ(食糧大臣)※留任

司法大臣 - オットー・ゲオルク・ティーラック(司法大臣)※留任

科学・教育・国民文化大臣 - グスタフ・アドルフ・シェールザルツブルク帝国大管区指導者)

国民啓蒙・宣伝大臣 - ヴェルナー・ナウマン国民啓蒙・宣伝省次官)

財務大臣 - ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク(財務大臣)※留任

労働大臣 - テオドール・フップアウアー(ドイツ語版)(軍需省計画局長)

軍需大臣 - カール=オットー・ザウル(ドイツ語版)(軍需省次官)

無任所大臣・ドイツ労働戦線総裁 - ロベルト・ライ(無任所大臣・ドイツ労働戦線総裁)※留任

脚注
注釈^ 1934年から首相と党の指導者を兼任する形で総統となる。
1938年から国防軍最高司令官、1941年から陸軍総司令官となり、政府の役職以外にも軍の役職に就任することとなった。


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