ヒッピー
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アメリカにおいて、ヒッピーの一部はベトナム戦争徴兵制に反対し、そのため主流社会の軍事的覇権主義に反対し、父親世代の第二次大戦や原子爆弾への無条件支持の姿勢、ベトナムでの米軍の圧倒的な軍事力による暴力やホロコーストなどに対して、音楽や麻薬、非暴力によって対抗(カウンター)しようとした。結果、自然平和セックス自由巡礼の旅の愛好家として社会にうけとめられた。彼等は当時、西側の若者の間で流行した毛沢東思想や、コミューンの形成、環境運動動物愛護、自然食、LSDマジックマッシュルームマリファナ擁護に加えて、ヨガインド哲学ヒンヅー教仏教などの東洋思想に関心をよせた。これまでの欧米の思想にはない概念を東洋からみちびきだすことによって、より平和で調和に満ちたユートピアを夢見た。

実社会の中で、ユートピアが訪れることはなかったが、その憧れは21世紀において、サブカルチャーに留まらず、欧米の主流文化の中でより一般化されたものとなった。Appleをはじめとした米西海岸のコンピューター文化、ロック音楽や映画、美術、文学、舞踏、アメリカン・アニメといった大衆文化ヴィーガニズム菜食主義などより自然志向の食文化、東洋的な精神への関心は高まりつづけている。
詳細ニール・ヤング。ヒッピー時代のミュージシャン。

ヒッピー的な自然回帰を志向する傾向は、古くから欧米に存在していた。中世の宗教家、アッシジ聖フランシスコ、さらに性の解放を歌ったコレット、フランスの作家セリーヌプルースト、不条理作家フランツ・カフカ、アイルランドの哲学者アイリス・マードック、米国の実存主義作家ソール・ベロー、ユダヤ人作家バーナード・マラマッド[3]、あるいは「森の生活」の著者ヘンリー・デイヴィッド・ソローや19世紀の詩人ウォルト・ホイットマンホビットの冒険」「指輪物語」のJ・R・R・トールキン、20世紀ではビートニクスギンズバーグバロウズケルアック、また画家ではピカソデ・クーニングベン・シャーンレジェコクトーなどがヒッピーに好まれた[3]

19世紀末から20世紀初頭ドイツのユースカルチャー「ワンダーフォーゲル」は、当時の保守的な社会や文化に対する「カウンター・カルチャー」的な側面をもっていた。また保守的、伝統的なドイツのクラブの形式に反して、フォーク・ソングを愛好し、創造的な服装、アウトドア・ライフを志向した。しかしナチス政権時代には、ワンゲルの若者の一部はナチス支持に流れた。

20世紀にはドイツ人がアメリカに移住し、ドイツの若者文化をアメリカにもたらした。彼らの一部は南カリフォルニアに住み、何軒かの最初の健康食品店がオープンした。ネイチャーボーイズとよばれるグループは、カリフォルニアの砂漠で有機食品を育て、自然を愛するライフスタイルを実践した。 ソングライターのエデン・アーベ(英語版)は健康意識やヨガ、有機食品の普及をすすめた俳優のジプシー・ブーツ(英語版)からインスピレーションを受け「Nature Boy 」(1947)[4]という曲を書き、ヒットし、ジャズのスタンダードとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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