ヌルミは常にストップウオッチをもって走り、均一速度走法を発明して1レース間にエネルギーを均一に消費した[124]。この走法を使用した理由について、ヌルミは「時間と競争するとき、スパートをかける必要はない。(終点の)テープまで一様に辛いので、他の人はそのペースを維持できない。」と述べた[115]。アーキー・マクファーソン(英語版)は「常にストップウオッチを手に持った彼(ヌルミ)は陸上競技において賢く努力することを新しい水準に上げ、現代科学で武装した陸上競技選手の先駆者となった」と述べた[125]。ヌルミはトレーニングにおいても先駆者として知られ、彼は一年中を通してトレーニングを行う系統的なプログラムを作成、長距離走とインターバルランニングを組み込んだ[126][127]。ピーター・ラヴゼイは著作の「長距離の王:偉大な走者5人に関する研究」(The Kings of Distance: A Study of Five Great Runners)でヌルミが「世界記録の更新を加速。分析的なトレーニング法を発展させて、それを具体化。フィンランドだけでなく、世界の陸上競技全体に対しても大きな影響力を有した。ヌルミのスタイル、テクニック、戦術は絶対確実とされ、実際にフィンランドの選手が模倣して記録を更新してきたことから尚更だった。」と述べた[78]。Track & Field Newsの創刊者コードナー・ネルソン(Cordner Nelson)は競走が多くの観客を集めるスポーツに発展したことについて、ヌルミがその功労者であると考え、「彼の競走における足跡は空前絶後だった。ランニングが世界のスポーツ観客の眼中に留まるメジャーなスポーツになったのは、誰よりも彼のおかげだった。世界のスポーツ観客は彼を全てのスポーツの中で真に偉大な選手の1人とみなした。」と述べた[108]。
ヌルミの貢献とトレーニング法はその後数世代もの間、新しいスター走者に影響を与えた。エミール・ザトペックは子供の頃、トレーニングを受けるときに「私はヌルミだ!私はヌルミだ!」と唱え[84]、トレーニング法にヌルミのそれについてわかるだけ取り入れた[128]。ラッセ・ビレンはヌルミを崇拝しており、ヌルミが死去した日にはじめてヌルミに会う予定だった[112]。ヒシャム・エルゲルージは感銘を受けて陸上競技選手になり、「祖父が語り継げてきた偉大な男の貢献を再現」しようとした[129]。彼はヌルミが達成した以降はじめてオリンピックの1500メートルと5000メートル競走の金メダルを同時に獲得した選手となった[129]。ヌルミはオリンピック競技場以外でも影響力を発揮した。1928年のオリンピックではカジミェシュ・ウィルチンスキー(英語版)が詩歌部門にて「オリンピックの月桂冠」(Olympic Laurel)という詩で金メダルを獲得したが、この詩にはヌルミに関する1節がある[130]。また、1936年オリンピックではルートヴィヒ・シュトゥッベンドルフ(英語版)が馬の「ヌルミ」とともに総合馬術の個人戦と団体戦の金メダルを獲得した[130]。10フィンランド・マルッカの紙幣に描かれたヌルミ。
ヌルミの銅像は1925年にヴァイノ・アールトネンによって作製された[131]。原作はアテネウム美術館に飾られたが、そのコピーがトゥルク、ユヴァスキュラ、ヘルシンキ・オリンピックスタジアムの前、スイスのローザンヌにあるオリンピック・ミュージアムで飾られている[131]。ヘルシンキ工業大学(英語版)の学生がした有名な悪戯として、1628年以降海底に沈んでいたヴァーサが1961年に引き上げられたとき、ヌルミ像のミニチュアがその沈没船から発見されている[132]。