両者の関係は、キリスト教宣教師によるゾロアスター教への攻撃、イギリス統治下でのパールシーの経済的成功からパールシー社会に広まった拝金主義と宗教的無関心、パールシー司祭階級の堕落への危機感といった背景がある[1]。神智学協会は、ゾロアスター教は一神教であり輪廻転生の教義[3] を持つと考え、菜食主義などゾロアスター教と関係のない習慣もパールシーに持ち込んでおり、パールシーの伝統と思想を脅かすという懸念も少なくなかった。パールシーの神智学徒たち(パールシー神智学)は、開祖ザラスシュトラを神智学の「知恵のマスター」たちよりもさらに偉大な神的存在であると考えた。また、オルコットがフリーメーソンに入会していたこともあり、フリーメイソンの支部がパールシーに作られ多くの知識人が入会した[1]。
世界同胞思想、反植民地思想を持つ神智学協会には社会思想・社会活動としての面があり、W・P・Wadiaが設立したインド最初の労働組合など、現実的な問題に関心を向ける進歩的なパールシーと共に行った社会活動も少なくない[1]。
パールシーによるゾロアスター教的オカルト運動、または神智学をゾロアスター教化したものとして、エルメ・フシュヌーム(英語版)がある。 少数派の民族として生き残るために、パールシーは共同体ともいえるネットワークを作り出し、お互いに協力している。イランから持ち運ばれた火の燃えるパールシーの寺院はムンバイとプネーにいくつかあるが、異教者の入場は認められていない。パールシーは裕福な層が多く、教育や文化度が高い。 2010年現在、6万1千人程のパールシーがインド国内にいるといわれるが、数は減少傾向にある。10年ほど前には6万9千人だった。理由は、現在もパールシーはグジャラートのマハラジャとの約束を守っていることにある。父親がゾロアスター教でなければ信徒となれず、女性が異教徒と結婚した場合は、信仰を捨てなければならないからである。 パールシーは数世代前までは子供は5人程度もつのが一般的であった。しかし最近はその生活水準の高さから、結婚や子供の数が欧米や日本のような少子化傾向になっている。1人かせいぜい2人、場合によっては一生を独身のままで子供を作らない男性もいる(その宗教的背景から女性の結婚は増加に寄与しない)。この結果、年々パールシーの数は減少している。タタ財閥の相続が行われた際[いつ?]に、タタの名字をもつ相続者は1人しかいなかったといわれている。 インド独立運動にかかわったパールシーの政治家フェーローズ・ガーンディーは、後年インドの初代首相となったジャワハルラール・ネルーと親しくなって、ネルーの一人の娘でありのちにインドの第3代首相となったインディラ・ガンディーと結婚した[4]。ただし、ガンディーの家族名はグジャラート出身者に多い名前で、必ずしもパールシーだけの家族名ではない。
現状
著名な人物「インドの財閥」も参照
フレディ・マーキュリー-イギリスのロックバンド・クイーンのボーカリスト、当時イギリス領だったタンザニア・ザンジバル島でパールシーの両親の下に生まれ、子供時代にインドへ移住した。
ズービン・メータ - インド出身の指揮者。
カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ - イギリスの作曲家、ピアニスト
パーシス・カンバッタ-元ミスインド、女優。スター・トレックなどに出演の女優。
その他
19世紀から続く学者神官一族ジャーマースプ・アーサー家の第6代当主カイ・ホスロウ[5] によるパールシー教入信の儀式、Navjote
ゾロアスター教寺院・ムンバイ
ゾロアスター教寺院・ムンバイ
ゾロアスター教寺院・バンガロール
ゾロアスター教寺院・アフマダーバード
フレディ・マーキュリー
パールシーの少女(画:ラヴィ・ヴァルマ)
ムンバイに建設された沈黙の塔