派手な服装と濃い口紅で[31]、パーマをかけた髪型で街角で煙草を吸う[32]姿がパンパンの典型的なイメージであるが、ジョン・ダワーは「ここに性を抑圧していた戦前の体制に対する反発が見てとれ、戦後日本におけるアメリカ的消費文化(物質主義)の先駆けである」と評する[33]。丸山眞男をはじめとする日本の戦後知識人らはパンパンを米国に媚び追随する者の例とみなした。一方、坂口安吾『堕落論』に代表される退廃を推奨する言説においては、パンパンの自由さを礼賛する傾向があった[28]。
日本のキリスト教界指導者の間ではパンパンを恥ずべき者として非難する見解と、そこから立ち直っていく過程をマグダラのマリアに重ねて解釈する見解とがあった[34]。
賀川豊彦は『婦人公論』1947年8月号に「闇の女に堕ちる女性は、多くの欠陥を持っている」とし、パンパンについては「わざと悪に接近」するような悪魔的なところがあり、「一種の変成社会における精神分裂病患者である」という思い込みを持っていたとされる[35]。 日本の運動側は「醜業婦」観を有しており、たとえばYWCAの植村環は『婦人公論』(1952年5月号)で「アメリカの寛大な統治を悦び、感謝しており」とする一方で慰安婦たち「卑しい業を廃めさせ」るよう要求[36]したり、「パンパン」を「大方は積極的に外人を追いかけて歩き、ダニのように食いついて離れぬ種類の婦人」と述べたり、「あんなに悪性のパンパンに対しては、白人の方だって、あの位の乱暴は働きたくなりますさ」などと語るなど[37]、売春問題を買う男ではなく売る女性の方を問題としていた[38]。 パンパンたちの使用した独特の片言英語(日本語と混合、英語の文法から逸脱)をパングリッシュと呼ぶ。パングリッシュは1952年のサンフランシスコ平和条約発効とともに消えていった[39]。 戦後の子どもの遊びとして「パンパン遊び」というものがあり、問題視された[40]。滋賀県今津町の前川利吉は幼稚園の生徒がズボンを脱いでパンパン遊びをしていたという事例を昭和28年(1953年)に国会で報告した[41]。莚の上で男女二人ずつが組み合って転がり、他の子とぶつかると相手を変えて続ける遊び[42]などとされる。 パンパンの下位分類として、白人専門の「白パン」、黒人専門の「黒パン」、按摩(マッサージ)も行うパンパンの「パンマ」などの用語があった[7]。 パンパンたちは「タソガレ(黒人)」「パスタ(既婚の女)」「オシン(お金)」「ヤキヲイレル・ハッパヲカケル(リンチする)」「ゴランカム(妊娠する)」など仲間内での隠語を使用した[43]。 「パンパン」は不特定多数の連合国軍兵士を客としていた者を指すことが多かった。これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものは「オンリー」または「オンリーさん」と呼ばれた。「オンリー」の対立概念として、街娼として営業する者を「バタフライ」と呼ぶこともある[13]。外国人以外を客とする者へ用法が広がってからは、外国人を客とする者を特に「洋パン」と呼ぶようになった(洋装であることが特徴)[44]。 詳細は各項目参照
市民運動における「醜業婦」観
文化的影響
関連用語
関連作品
『肉体の門』(1947年。田村泰次郎の小説)
『星の流れに』(1947年。菊池章子の歌謡曲)
『夜の女たち』(1948年。溝口健二監督、田中絹代主演の映画)
『ゼロの焦点』(1959年。松本清張の小説)
『女ばかりの夜』(1961年。田中絹代監督、原知佐子主演の映画)
脚注
注釈^ ここでのパンは?麭。
出典^ コンサイスカタカナ語辞典 2010, p. 868.
^ 赤塚 2005, p. 58-65.
^ 奥田 2007, pp. 39.
^ a b 世界大百事典 2007d, p. 572.
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