パンツの穴
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青春ラブコメ[6]、"童貞感溢れる青春エッチコメディ[3]、"日本版『ポーキーズ』が企画コンセプトにあったといわれるが[3]、鈴木則文がウンコネタ満載の下ネタ映画に変貌させた[3]。自作にウンコを度々取り入れる鈴木の究極の「ウンコ映画」とも評される[3]

製作者の松本廣は横山博人の同級生で『純』のプロデューサーとして映画界入りした[1]。本作も松本が鈴木に企画を持ち込み、鈴木は『パンツの穴』というタイトルに惚れ、オファーを受けたと話している[1]。脚本の中本博通は鈴木が新宿スナックで飲んでいるときに「弟子にしてくれ」と頼み込んできた人で、もう一人の茜ちゃんは鈴木が「複数のペンネーム」と話しているだけで具体的には誰かは書かれていない[1]

配給収入は3億円[14]。大ヒットし[10]菊池桃子山本陽一をヤングスターに押し上げた[6][15]
第2弾『パンツの穴 花柄畑でインプット』

『パンツの穴 花柄畑でインプット』1985年4月13日公開。東映東京撮影所製作、東映配給。「ビッグマグナム 黒岩先生」と同時上映。

また、サントラLPも日本フォノグラムから発売された。28PL-95 『パンツの穴 花柄畑でインプット』
キャスト

志村香山本陽一奥田圭子、津川俊之、宮本信樹中山秀征内藤典彦島田奈央子三ツ木清隆清水由貴子間下このみ桂文珍小野ヤスシ入江若葉藤巻潤雪代敬子浦辺粂子梅宮辰夫白龍光洋明石家さんま親王塚貴子

製作

第一作の大ヒットに目を付けた鈴木則文監督の盟友・東映天尾完次プロデューサー[16]学研とのタイアップを得て[17][18]岡田茂東映社長も製作OKを出した[17]。この時点では菊池桃子主演ありきの企画だったが[16]、菊池が一作目以降にスーパーアイドルになってしまい[16]、「忙しすぎて映画に出演できる状態ではない」と断られた[16]。やむなく公募で第二の菊池桃子を見つけることになった[16]

ヒロイン募集で58,117名の応募があり[16][19]、1984年12月9日、西武百貨店池袋本店で行われた最終オーディションで、予選を通過した19人の中から江東区立深川第四中学校3年在学中の志村香が選ばれた[16][19]。賞品は100万円と海外旅行[16]。合格理由は「菊池桃子にソックリ」というものだった[19]。志村は「落ちたら保母さんになろうと思っていました。小泉今日子さんみたいになりたい」と話した[19]。相手役は前作と同じ、山本陽一が務めたが、他のキャストは一新され、人物設定、スタッフ、キャストはガラリと変わった。小平裕は1982年の中国蒸気機関車の映画『真紅な動輪』以来、久しぶりの監督で、東映のプログラムピクチャーをずっと手掛けてはいたが、根は真面目な人という評価で[20]、ハチャメチャな鈴木監督の一作目の後で不安視された[20]

学研と組んでの製作に岡田東映社長も「春のヤング番組」として押すつもりで[17][18]、『香港未公開NGカット版付五福星』『チャンピオン鷹』の香港映画と春休み東映まんがまつり (『キン肉マン 正義超人vs古代超人』他)を挟み、『ビッグマグナム 黒岩先生』と共に「ヤング番組」のトリを務めたが[17]、菊池桃子が降板したこともあって不入りに終わり[18]、岡田は「こういう作品はやはり独立プロがやるべきもので、メジャー会社が作るようなものじゃない」と話した[18]。第二作のプロデューサーだった天尾完次は1986年の正月映画として、同じ学研『Momoco』の「童貞物語」を映画化しようと準備していたが製作が危ぶまれた。結局中止されずに製作され1986年2月に公開はされたが、東映は配給のみ担当した[18]
スタッフ

脚本:掛札昌祐


監督:小平裕

音楽:惣領泰則

主題歌:SALLY「愛しのマリア」

挿入歌:山本陽一「青空のハートブレイカー」

映像ソフト

セルビデオ東映ビデオより、『ビッグマグナム 黒岩先生』と共に、公開8日後の1985年4月21日に発売されている(カラー90分。TE-B068、12,800円)[21]

第3弾『パンツの穴 本牧ベイでクソくらえ』

『パンツの穴 本牧ベイでクソくらえ』1990年3月24日公開。バンダイ配給。「ムケそでムケないイチゴたち」と同時上映。

キャスト:武田有造、中野理絵山田辰夫中村れい子桐嶋ゆう、長谷川恒之、古川九一三浦文夫、皆川拓也、麻ミナ、高市智子、 栗原早記、安田伸龍虎


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