パンク・ロック
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アップテンポかつ攻撃的だが、レゲエを取り入れた代わりに、ロックのルーツのひとつであるブルースブギーなどの黒人由来の音楽要素が排除される形となった。これはメロトロンシンセサイザーなどの高価な機材を使ったり、速弾きなどの技巧を競っていた当時のハードロックプログレッシブ・ロック・シーンに対する反発により生まれたものとされる。そのため、レッド・ツェッペリンピンク・フロイドクイーンローリング・ストーンズらロック・スターとなっていたバンドを激しく攻撃し、ハードロックやプログレッシブ・ロックを「オールド・ウェイヴ」として否定するようになった。

パンクやニュー・ウェイヴはDIY(Do It Yourself=自分達でやる)をスローガンとして掲げた。これは後進のパンク・バンドに影響を与えた。

パンクは当初から反体制的(アナーキズム)、または左翼的(マルキシズム)なメッセージを歌うバンドが多かった[† 2]。次第に政治的な色彩は弱まっていったが、2018年にはインドネシアアチェ州のパンク・ロック愛好者が宗教警察に摘発されている事例があるように[3]、今もなお音楽性や歌詞が反宗教的と捉えられる傾向がある。
歴史
前史

ザ・フーザ・ストゥージズ、過激なライブパフォーマンスのMC5、グラム・ロックとも見られたヴェルヴェット・アンダーグラウンド(同性愛やSMも題材とした)やニューヨーク・ドールズなどが、パンクのルーツと考えられている[4]
ニューヨーク・パンクパンクのゴッドファーザー、イギー・ポップ

ニューヨーク・パンクは、1960年代後半にアメリカのアンダーグラウンドで人気を得ていたMC5ヴェルヴェット・アンダーグラウンドザ・ストゥージズ、70年代前半のニューヨーク・ドールズなどに影響を受けて生まれた。

70年代後半にはパティ・スミステレヴィジョンラモーンズトーキング・ヘッズらが、マキシズ・カンサス・シティやCBGBなどのライブハウスを拠点に演奏するようになった[5]。これらのライブ・ハウスを拠点に活動していたバンドやソロは他に、リチャード・ヘル[† 3]ジョニー・サンダース、ディクテイターズ、ミンク・デヴィル、ウェイン・カウンティ、デッド・ボーイズスーサイドらがいた[6]。パンクから派生したディーヴォ、トーキング・ヘッズなどのニュー・ウェイヴ・バンドは、チャートでもそれなりの成功を収めた。
ロンドン・パンク

ロンドン・パンクはニューヨーク・パンクにわずかに遅れて、76年ごろから始まった。ロンドン・パンクの特徴としては、初期のロックンロールが持っていた攻撃性と反社会性、スリーコード中心の曲調が挙げられる。また、少し前に流行っていたパブロックといわれる音楽も、ロンドン・パンクに大きな影響を与えた。安全ピン、ワッペン、破れた細いジーンズや古着のTシャツ、革ジャンなどのファッションも若者の間で流行した。初期に人気があったのはセックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドらだが、ピストルズのアメリカ進出は成功せず、アメリカのチャートで成功を収めたのは、ザ・クラッシュだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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