民間航空が各国で盛んになってきた1927年3月14日に実業家グループによって設立された。最初はアメリカからキューバを結ぶ航空郵便から始め、その後カリブ海路線ならびに南アメリカを結ぶ国際線を運航し、1930年代には路線網をヨーロッパやアジア太平洋地域をはじめとした世界各国へ拡大した。
経営者であるファン・トリップ会長の強力なリーダーシップとアメリカ政府の庇護の元、国際航空の黎明期である1930年代から、第二次世界大戦や冷戦期を挟み、海外旅行の大衆化、低価格化が進んだ1980年代にかけて名実ともにアメリカのフラッグ・キャリアとして世界中に広範な路線網を広げていた[1]。
国内線をほとんど持たなかったものの、アメリカのみならず世界の航空業界内での影響力も大きく、アメリカ初のジェット旅客機であるボーイング707や、世界最初の超大型ジェット旅客機であるボーイング747といったボーイングを代表する機材の開発を後押しした他、世界一周路線の運航やビジネスクラスの導入[2]、機内食調理工場の主要都市への展開、系列ホテルチェーン「インターコンチネンタルホテル」の世界的展開など、後に他の航空会社が後追いして取り入れたビジネスモデルを率先して取り入れた。
しかし、1970年代にジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策「ディレギュレーション」の施行と、その結果により競争激化と航空運賃の低下が起こった。また競争激化に勝つべく中堅国内航空会社を買収したが、自社の組合員の悪あがきで高コストの経営体質を改善できなかったことにより1980年代に入り急激に経営が悪化。
1983年には国際航空運送協会の統計による旅客・貨物輸送実績世界一の座を、日本のフラッグ・キャリアである日本航空に明け渡した上[3]、1985年にドル箱の日本を含む太平洋路線を売却し経営の効率化を図ろうとしたが、そのような中で1988年に発生したパンアメリカン航空103便爆破事件(ロッカビー事件)と1990年の湾岸戦争が追い打ちとなり、1991年12月4日に会社破産し消滅した。
その強力な知名度を生かすべく、ブランドとロゴ使用の権利を引き継いだ別会社が同じ塗装とブランドで近距離国際線と国内線を運航し、形だけは一時的に復活していたものの、結局経営を軌道に乗せることはままならず、2008年2月一杯で運航停止となっており、現在同名の航空会社としての運航は行われていない。
歴史年表
1927年: 「Pan American Airways」設立。同年にフロリダ州キー・ウェスト - キューバ共和国ハバナ便を開設。その後、アメリカ政府の補助金でアルゼンチンやブラジル行き飛行艇便を開設。
1929年: メキシカーナ航空を買収。
1932年: キューバのクバーナ航空を買収。
1933年: 中華民国の中国航空集団を買収。
1935年: サンフランシスコ - ホノルル - マニラ - 香港の世界最初の太平洋横断航空便を開設。
1937年: 世界最初の大西洋横断航空を開設。
1943年: ベネズエラのアベンサ航空の開業に参画。
1946年: 新規にホテル部門を「InterContinental Hotel」(現インターコンチネンタルホテルズグループ)と命名して設立。
1949年: ミドル・イースト航空に投資するとともに経営に参画。
1950年: アメリカ航空の国際線部門であるアメリカン・オーバーシーズ航空を買収。