格調高い文体で下賤なトピックを扱うパターン、あるいは下賤な文体で高尚なトピックを扱うパターン (擬似英雄詩など) のどちらも古代のパロディに見られる[61]。 世界中に無数のパロディ作品が存在するが、パロディの内訳を解説する目的でその一部を以下に紹介する。 文芸におけるもじりとは、一つの語句に複数の異なる意味を持たせることで滑稽さを生み出す手法である[65]。特に同音または類似音を用いた語呂合わせなどを指し、有名な詩や和歌、歌謡などを元ネタにして笑わせる目的で創作されることから、パロディの一種としての側面がある[66]:@。たとえば鎌倉時代に藤原定家が選定した『小倉百人一首』を元にして、江戸時代には「もじり百人一首」が登場し、大衆に親しまれた[66]:@。また、替え歌も原曲の歌詞をもじってパロディ化させたものと定義されている[67]。パロディとしての狂歌 (上) と原著作物 (下) の比較ひとつとりふたつとりては焼いて食う鶉なくなる深草の里(大田南畝作)[19] 狂歌とは和歌の一種であり、滑稽で日常卑近の生活などを題材として詠まれることから[68]、替え歌、もじり歌、パロディの要素が狂歌に含まれる[69]:77。特に『万葉集』の戯笑歌
種類
音に着目したパロディ
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里(藤原俊成作)[19]“”
単なる聞き間違い(空耳)が偶然にも別の意味や文脈を持ち、ユーモアにつながることもある[70]。これはモンデグリーン (mondegreen) とも呼ばれ[71]、1954年が初出と比較的新しい造語である[70][72]。たとえば日本のテレビ番組『タモリ倶楽部』内の一コーナー「空耳アワー」では、外国語の歌詞が日本語で全く異なる意味に聞こえるネタを数多く扱っている。一例を挙げると、"By reaching inside, reaching inside が「わるいチンゲンサイいいチンゲンサイ」に空耳するといった具合である[73]:19。このようなモンデグリーンを言語学の弁別素性の観点から学術的に解明する研究も行われている[73]:19。 17世紀バロック期に活躍したスペイン画家ベラスケスの代表作『ラス・メニーナス』(女官たち) は後世の画家に大きな影響を与え、特にピカソは45点もの翻案を行っており[74]、これらの連作はパロディとみなされている[75][13]:202。また2017年に英国ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ (RA) が発表した「最もパロディ化された芸術作品10選」では、絵画や彫刻などの名作が様々なパターンで繰り返しパロディ化されている様が見て取れる[注 6]。 ドイツ出身で1929年にノーベル文学賞を受賞[16]したトーマス・マンは、真面目なパロディ作品の創作を通じてユートピア的な世界観を表現したとされる[17]、代表的なパロディ作家の一人である[14][注 7]。長編小説『魔の山』(1924年) には、ゲーテの教養小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1795年 - 1796年) をパロディ化した要素が含まれている[17]。『ファウストゥス博士』(1947年) では、小説の登場人物を介してパロディとは何であるかを語らせているが、必ずしも「滑稽な」模倣に限定されるものではないとしている[78]。また『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』(1954年) も複数の作品を下敷きにしたパロディとみなされているが、これらマンの作品は滑稽さと皮肉さが同居しているとの特徴が指摘されている[14]。なお、古代パロディとして挙げられるサチュロス劇のことを「茶番劇」だとマンは語っている[79]。 映像外部リンク パロディの辞書的な定義には文学や美術といった固定された作品だけでなく、曲や演説といったライブも含まれているように[2]、作品(物)だけでなく人や動物など(生き物)がパロディの題材になることがある。したがって、物まね (音声や形態を他者が声や身ぶりで模倣する行為[80]) の一部もパロディ的な要素が含まれる。 たとえば米国のコメディバラエティTV番組『サタデー・ナイト・ライブ』(SNL)では政治家のパロディコントがシリーズ化しており、特に第45代大統領ドナルド・トランプを揶揄したSNLパロディシリーズ
美術パロディ
真面目なパロディ
実演によるパロディ
ボールドウィンによるパロディ
パロディの元ネタとなった2016年大統領選TV討論会