歴史的にみると、日本でも江戸時代の狂歌や[19]、戦争中の軍歌の替え歌パロディなど[140]、パロディ創作は古くから行われていた。そして高度経済成長期 (1960年から1973年頃[141]) に入ると著作物の模倣が横行した[142]。その反動で著作者側の権利保護意識が極度に高まったことが、日本でのパロディ創作を困難にした要因であるとの指摘もある[142]。
また商標法についても、日本ではパロディ許容が消極的であり、パロディ商標は出願されても実際には登録却下される事例が多いと言われている[85]。パロディ商標が認められなかった一例については「面白い恋人#販売差止訴訟」を参照
日本の著作権法上でパロディの取扱規定が存在しない問題は、少なくとも2007年(平成19年)ごろには公的に議論されるようになり[143][144]、引用の要件を定めた第32条にパロディを加える案や、米国のフェアユースに類似する一般規定を設ける案などが検討されたものの、判例数の少ない日本における法改正は困難との見通しも示されている[144]。
2012年 (平成24年) には著作権を管轄する文化庁の下、法制問題小委員会にパロディワーキンググループが設置され[85]、インターネット上で共有される二次創作などを念頭に、パロディ目的の利用緩和に向けた法改正が協議されることとなった[145]。すでに2007年 - 2008年のワーキンググループ調査報告書では、パロディが共有されるプラットフォームとしてYouTubeやニコニコ動画といったサービス名が挙げられており、具体的な法整備の必要性が議論された[144]。しかしながら2020年時点で、パロディに関する著作権法の改正は実現に至っていない。
このような情勢下で、日本の著作権法が唯一寛容なのが、コミックマーケットを代表とする同人誌即売会などで行われる同人誌販売である。あくまで同好者たちの私的な二次創作活動であると捉えられ、漫画やアニメの無許諾模倣が黙認されてきた経緯がある[142]。
漫画業界を例にとると、商業的にパロディ要素が出始めたのは高度経済成長期の 1960年代に入ってからである。1960年代初頭に米国のパロディコミック雑誌『MAD』が日本でも紹介されるようになり、続いて1968年には『漫画アクション』誌にダディ・グース(後の矢作俊彦)のパロディ作品が、同年に『COM』誌上に永井豪のパロディ作品が登場している。部分的なパロディ要素ではなく、作品全体がパロディと呼べる日本の漫画は、これらが初出と考えられている[146]。同時期の1960年代初頭から1970年代初頭には、プロの漫画家を夢見る者たちによる同人誌コミュニティが全国的に広がりを見せた[147]。パロディは元ネタを知らないと楽しめない性質であることから、同人誌のような「内輪受けコミュニティ」とパロディに親和性があったとの分析もある[148]。
しかし内容を問題視した原作者から名誉毀損で訴えられることもあった[149]。また1990年代後半から2000年代にかけては、ときめきメモリアル・アダルトアニメ映画化事件、ポケットモンスター同人誌事件、ドラえもん最終話同人誌問題など、二次創作物が広範に流通するようになったことでの紛争も起きている[150]。
2018年末には環太平洋パートナーシップ協定 (TPP) 発効に合わせて著作権法が改正されており、著作権侵害が非親告罪化したが、この対象からはコミックマーケットが明示的に除外されることとなった[151]:53[142]。これは原著作物と市場で競合するおそれがないこと[151]:53、また二次創作は「日本の文化創造のゆりかご[142]」とも形容され、非親告罪化の対象に含めることで文化発展の萎縮を招きかねないとの政治的判断に基づく[151]:53。またコミケ経由だけでなく、漫画のパロディをブログに投稿する行為も原著作物からの改変が施されていることから、非親告罪の対象外だと解されている[152]。「日本の著作権法における非親告罪化」も参照
2020年5月には、東京オリンピックのエンブレムと、世界的に流行した新型コロナウイルス (SARS-CoV-2) を掛け合わせたパロディが批判にさらされた。