パリの中央集権主義はまた、この街がテロの犠牲者であることをも物語る。よく知られるナポレオン1世に対するサン・ニケーズ街テロ事件や、最近では、RER B線サン=ミッシェル=ノートルダム駅での爆弾テロがある。パリの歴史はこれらの象徴的価値の高い事件が刻まれたものである。これらは、この街での日常生活にとって取るに足りないというものではない。特に、ヴィジピラート計画(Plan Vigipirate)[41]の実施により、観光地や首都の戦略的要衝地の近くに武装した警察、憲兵および兵士が警備しているのを目にすることになる[42]。
医療・衛生セーヌ右岸からみたオテル・デュー ・ド・パリ
数多くの病院がパリに設置されている。そのうちいくつかは特に古く、医療の伝統は中世にまでさかのぼる。651年にパリ司教だった聖ランドリーによって設立されたシテ島のオテル・デューは、パリでもっとも古い医療施設である。慈愛ともてなしの象徴であり、12世紀まではパリで唯一の病院であった。
大部分の医療施設は、1849年1月10日法によって創設された公的医療施設であるAP-HP(Assistance publique - Hopitaux de Paris、公的支援-パリ病院連合)に名を連ね、パリ市の後方支援をしている。地域圏およびパリの医療センターの役割も果たし、多くの医師や公務員を含む9万人以上が業務に従事している。5区にあるミラミオン館は、かつて病院の施設として使用されていたが、現在はAP-HPの博物館となっており、パリの医療の歴史を想起させている。AP-HPのパリ市内主要病院としては、ネッケル小児病院、コシャン病院、サルペトリエール病院、サン・タントワーヌ病院、サン・ルイ病院、ビシャ=クロード・ベルナール病院、ジョルジュ・ポンピドゥー欧州病院を挙げることができる。
他方、アンヴァリッド軍病院はAP-HPに属していないが、保健大臣の監督のもと国防大臣に権限が委任されており、退役軍人などの治療を行っている。同様に、国立アンヴァリッド研究所[43]では、現役および退役軍人(その家族などの被保険者を含む)などが医療看護や外科的治療を受けられる。
パリの近郊「小さな王冠」では、パリ東・クレテイユ・ヴァル=ド=マルヌ大学(パリ第12大学)附属アンリ・モンドール大学病院センター(クレテイユ)、パリ南大学附属クレムラン・ビセートル大学病院センター(ル・クレムラン=ビセートル)、ル・ランシー=モンフェルメイユ・コミューン連携医療センター、ボジョン病院(クリシー)が有名な医療機関である[44]。「大きな王冠」においても、AP-HPに属してはいないが、いくつかのコミューン連携の総合病院が存在する。たとえば、アルジャントゥイユのビクトル・デュプイ病院やヴェルサイユ医療センターを挙げることができる。
また、医療研究機関としては、1260年にルイ9世によってパリの視覚障害者救済を目的として設立されたキャンズ・ヴァン病院、いずれも軍の衛生部に属するヴァル=ド=グラース軍研究病院、ペルシー軍研究病院、ベガン軍研究病院を挙げることができる。
さらに、ヌイイ=シュル=セーヌには、1906年に設立された社会保障非受益者のための非営利・認可私立病院であるパリ・アメリカン・ホスピタルも特筆される。
パリは、フランス全土でも医師の密度がもっとも高い街のひとつである。たとえば、2005年現在、パリの一般医は5,840人を下らないが、セーヌ=サン=ドニ県とヴァル=ドワーズ県には両県を合わせても3,349人の一般医しかいない[45]。
パリでは、公衆衛生を保証・保持するため、特に貧困層向けに、16の市立入浴施設が9つの区に分散設置されている。これらの入浴施設は個室を有するが、洗面具は利用者が用意することになっている[46]。
宗教施設詳細は「パリの宗教施設の一覧」を参照
放送局
テレビ局
フランス・テレビジョン
TF1
Canal+(カナルプリュス)
ラジオ局
Radio FG
NRJ
France Inter(フランス・アンテル)
娯楽施設
ディズニーランド・パリ(1992年開業。パリ近郊マルヌ=ラ=ヴァレに立地)
運動施設
ジャック・アンクティル自転車競技場(「ツール・ド・フランス」のゴール地点だったこともある自転車競技場)
ローラン・ギャロス(グランドスラム(4大大会)の一つ「全仏オープン」が開催されるテニスコート)
ベルシー・アレナ(バレーボール・バスケットボール・柔道・卓球・フィギュアスケートなどの屋内競技からライブ会場まで用いられる屋内の多目的アリーナ)
スタッド・ド・フランス(陸上競技・サッカー・ラグビーからライブ会場まで用いられる多目的スタジアム)